KIRACO(きらこ)

玄関をあけて一歩外へ出たら、一挙に暑さが全身をくるんだ。「暑いなあ!!」思わずそんな言葉が唇をついて出てきた。

今年の暑さは、格別だと思う。クーラーも家にいる間はつけっぱなしにしている。何故か私、最近は忙しくてならない。ホント次から次へと予定が入ってくるのだ。「元気だねえ」と、私と会う皆さんがおっしゃる。そりゃ年齢の割には元気なほうなのかもしれない。だけど私の回りには、私よりずっと年上で元気いっぱいで活躍している人がたくさんいる。

そのせいか私は、自分の年齢を余り意識していないかもしれない。着るものも食べるものも若い時と同じだ。赤だろうがピンクだろうが着たいものを着ている。

残念なのはハイヒールが履けなくなった事。靴を集めるのが趣味で気に入った靴があればすぐ買ってしまう癖があったのに、今や足が弱ってヒールが履けない。何十足とある靴を眺めては、ため息をつくばかり。それに革って少し古くなるとボロボロに剥がれてくる。「あーあ、惜しがらずに若いうちにじゃん、じゃん、履いていれば良かった」とつくづく思う。そう言えば私、初めて稼いだお金(高校生の時アルバイトして)で、迷わず赤いハイヒールを買ったっけ。

母にねだれば、「まだ早いわよ」と言われるのが解っていたから、何とか自分の力で買いたいと思っていたのだった。初めてヒールを履いた時は、急に大人になった気がしたのを今でも覚えている。母や妹がおしゃれだったので、つい私もおしゃれに関心が強かった。中高と制服があったから、通学は制服だけど、いったん学校を離れてしまえば、好きな服を着た。私はフリルがいっぱいついた夢のある服が好きで、色も柄も明るい服が多かった。時折り祖父や母にねだって銀座や新宿の洋服屋さんで作ってもらっていた。今よりよほど贅沢だったんだなあと、昔をふり返っている。三歳下の妹は画家志望で、小さいときから油絵を学んでいた。そのせいか色のセンスが良く個性的な服装をしていた。性格も違いそんな仲良しでもなかった妹だが、ちょっと病んだだけで死なれてみるとすごく淋しい。

妹が他界して七年、もっと優しくしてやれば良かったと近頃は反省ばかり。そんな気持ちになるのは、私が年を取ったからなのだろう。私は自分の書いた小説のタイトルを付けた「夢子」という会員制ラウンジを、千葉銀座の中でやっている。開店して四年・・。だがここ二年はコロナのお蔭で休店状態だった。料金を安く設定してあるので、少しももうけにならない。でもいろんな方にお越し頂けて、いい仲間が出来るのが何よりもうれしい。そして一緒にはたらいてくれているバーテンダーさんや女の子達に恵まれているので、とても楽しい。子供のいない私にとって、子供のように可愛い。特別何もしてあげられないのに、私がちょっと風邪ひいても、とても心配して、優しく面倒みてくれる。

私も少しでも皆を喜ばせたいと常に考えているのだが、昼も夜も働いている娘が多いので、お芝居を観せたり、美味しい物をご馳走したいと思っても、それぞれの休日が合わずなかなか実現できず残念。やっと、今月の下旬に昼間は音楽会に行き、夜は中央区のホテルで中華料理を食べに行くことが決まった。

思いっきり楽しい時間にしたいと思っている。でも、少しさみしい事が出来た。開店以来ずっと居てくれた百合ちゃんが家庭の都合で店を辞める。スタイルが良くて、美人。そして性格もいい。お客様や仲間からもとても好かれていたので、残念でならないのだが、夜のお仕事から離れるのだから、喜ぶべき話と自分に言い聞かせている。ホテルでの食事会は暑気払いを兼ねた百合ちゃんの送別会にもなってしまった。「夢子」は経済的には少しも足しにならないのだが、この店があるため日々、私はいろんな方と会話ができ、世の流れに触れていられる。下手な小説を書いている私だけど、世の中には、小説の世界よりもっと、ずっと、様々な世界が展開しているのだと、この年齢になって知り、ビックリしたりしている。

相変わらず自己流の派手な化粧をして、派手な色やデザインの服を着て毎日出歩いている私。マニキュアだって、真っ赤や銀色だ。

亭主の儀ちゃんがこの世を去ってもう十年。

どこへ行っても、一番多く出るのが儀ちゃんの話だ。その度にいつまでも儀ちゃんを忘れずにいてくださり、ありがたいと感謝している。ひとりぼっちの筈だけど、素晴らしい仲間に囲まれ、私は毎日バラ色の日々を送っている。