今日は朝から雨。この季節の雨は何だか淋しくてもの悲しく思うのは私だけなのだろうか?
こんな十一月の雨の日に大好きだった父が急死したのが胸の奥にまだ残っているからなのかもしれない。幼い頃から父親に似ているとよく言われたからなのだろうか。なにしろ父親っ子だった。それにしても私は誰からも出来の悪い子だと思われていたに違いない。中学生の頃からまず学校が大嫌いで怠けてばかりいた。せっかく親がストレートで大学まで進学できる学校に入れてくれたのに勝手に高校は他の学校に入ってしまった。
さすがに最後は母親自身が行きたいと憧れていたが親の許しがとれずに諦めて、そのことをたまに口にしていた学校に私は入学、何とか卒業したので少しは安心させることができた。同級生ついては男子の大半は就職、女子は直ぐにお見合いをして結婚する人が多かったがその他の中には海外へ留学するひともそれなりにいた。私の両親も早く見合いでもさせて、結婚させようと考えていたようだ。
私は結婚するなんて気持ちは全くなかった。
何をやりたいとかの気持ちも無かったが、唯一密かに喫茶店をやってみたいな思っていた。だから、私は「卒業したら、喫茶店をやってみたいんだ」と口にしていた。父も母もものすごくビックリした。母は、「あなたに客商売なんかできるわけがないでしょ。それにとっても良い話が来ているのよ」といった。「私、結婚する気なんてまったくないもの、それにまだ二十二歳だもん。早いよ」
「早くないでしょ。女はすぐ齢とってしまうものよ」母が金切り声をだした。私は反対されると自分の要求を一層押し通したくなる悪い癖がある。「私、小さなお店でいいから好きなように自分でやってみたいの。お願い!」と言った。
父がまず折れた。「やりたがっているんだから、やるだけやらせてやれ。なあに、三か月もすれば投げ出すにきまってるさ」と母に言ってくれた。「本当にお父さんは庸子には甘いんだから。後で後悔しても私は知りませんからね」と母は嘆いた。私は早速場所探しにかかり、その中から虎の門ビル街の中と決める。その日から近所にある喫茶店を全部回った。朝昼晩に人の流れもみた。そして、この街は朝昼の時間帯は客が入るが夜は全くダメだと思った。珈琲の値段もほとんどの店が一杯六十円だった。私はメイン商品を珈琲と決め、思い切って銀のポットを仕入れて一人二杯飲めるようポットに入れて八十円で出すことにした。
食事用にオープンサンドを用意する。それと、モーニングサービスに力を入れようと考えた
お店の内装は、地下だから店内は淡い電気で明るい感じにしよう等計画をたて、父に真面目に相談した。父は、「わかった。そこまで考えているのなら、まず場所を見に行ってやる。その上で、資金も出してやろう」と約束してくれた。私は父から小切手をもらい大家さんに会いに行った。四十代後半の大家さんだったが「お嬢さん、あなたが経営するの? あのねえ、ここ何人かの方がお店出したんだけど客が入らないのか皆やめて行ったんだ。考え直した方がいいと思うよ」と言う。オカッパ頭にリボン付け、赤いコートを着て子供っぽい私をみて心配してくれたのであろう。
「大丈夫です。父も許してくれて、小切手も持たせてくれたんです」
「そう・・・?、じゃ頑張ってやってくださいよ」と、応援してくれた。
私はすぐに学校の先輩で内装をやっている人のところに相談に行った。先輩は「へえ! そうなの? 喜んで仕事はさせて頂くけど、あのね、そんなに楽な仕事じゃないよ。それに、まったくの素人じゃないか。もう一度ゆっくり考えてからでも遅くないと思うけどな」と言った。
「ええ、でも、ビルの中にあるその場所も、借りてしまったし権利金も払ってあるので、今更止めるわけにもいかないのです」
「そおなのかあ。わかった。じゃ何とかできるだけ安く、希望通りのイメージに沿った店を作る努力をしてあげる。いや、さっそくどんな店を作りたいのか、なんでも言って!」と、すぐにデザイン帳を手にすると、大声で部下の若い男性を呼んだ。それから三時間位かけて私も生まれて初めてと思うくらい真剣に熱心に自分の希望を話したし、相手の言葉も聞いた。そして、二か月後、私が自分のお城という意味で名前を付けた「喫茶シャトー」が開店した。バーテンさん、ウエイトレスさんも新聞広告で集めた。不思議なことに日を追うことに、お客さんも増え、行列のできる店となっていった。そして、私は本当に人が変わったようによく働いた。商売に合っていたのかも知れない。それから約二十年近い月日を七店舗に増えた店をやり続けてきたのだから。
結婚と同時に全ての店を閉めて千葉に来た私。専業主婦になり、これまでの生活とはまったく違った生活が続いていった。虎ノ門時代の友人達ともずっと仲良くしているが千葉での友人もたくさん出来て、振り返ればもう三〇年以上。父も母も亭主の儀ちゃん皆天国へ召されてしまった。でも、いろんな方々に守られて、そう私一生懸命生きている。楽しく生きがいのある日々を願いながら、ネ。