KIRACO(きらこ)

《メメントモリ》…この言葉、皆さんどこかでお聞きになったことがおありではないかと思いますが、私が初めて出逢ったのは、還暦過ぎ…つまり今から三十年くらいも昔の事でした。 

以来、この言葉の放つ響きは私にとって、生きていく上での指針と言うか、基準というか、それはもうシッカと心の壁に刻みつけられてきたのです。

これはイタリアでは常識と言っていいほど知れ渡った諺なのだそうで、その語源は中世にり、

《人間、自分がいつかは必ず死ぬということを忘る勿れ。日々この一語を肝に銘じつつ生きるべし》

そういった深い意味を持つラテン語なのだそうです。

私にとって還暦前後…といえばまさに人生の円熟期、本来の職業である音楽教室のほかにも、市のボランティアでのベビーシッターとか、今思うとよくもまああれだけ精力的に動けたもんだ!と我ながら呆れるくらいの日々でした。

そんな中、当時デビューしたての《川畠成道さん》という目のご不自由なバイオリニストを紹介され、以後彼の為に本を朗読し、テープに吹き込んでは次々とお送りしていたのです。

その頃はまだ、録音は《テープが主流》という時代でしたから、その後デジタル化が進みCDにとって代わるまで、この《声のお便り》は十年以上も続きました。

彼の凛とした透明なバイオリンの音色に魅せられ、カーネギーホールを筆頭に、ロンドンやハワイまでも、ついて廻っていた私なのです。

そう、いわば追っかけ…?

そんな彼に、私は音楽だけでなく、人間として生きる上での、広い視野をも持ってほしかった。

ですから、芥川賞の文学作品は勿論のこと、ちょっと世間を騒がせた週刊誌の記事なども、次々と読んではお届けしていました。

そんな中、たまたま目にした五木寛之の短編小説「レッスン」。

これが余りにも私好みの、哀愁漂うロマンティックな流れの作品だったものですから、独断と偏見もいいとこ、半ば押し付け気味にお送りしたのです。

その小説は後に映画化もされるのですが主人公は三十代の独身エンジニア、ツトム君。

その青年が《佐伯伽耶》という、謎めいた、魅力的な年上のキャリアウーマンと出会い、忽ちそのになってしまう…。

やがて二人は互いの思いを確かめ合うかのようにフィレンツェへと旅立つことに。

つまり、ツトム君は彼女から、いわば一人前の男、としての《レッスン》を受けようとする…そんなあらすじなのです。
これが又、何とも美しい筆の運びで描かれていて、フィレンツェの街並を背景に二人が交わす悩ましいやりとり。

その山場ともいえるシーンで、伽耶の口から唐突に発せられるのが《メメントモリ》=《死を想え!》という冷ややかな一語なのでした。

五木寛之がこの《レッスン》という小説に込めたかったのは、ただこの一語への、深い執着があったからではなかったか?恐らく彼自身、常に《死》に対峙しつつ生きて来たからこそ書きたかった小説だったのではなかったか?と私は今でもそう思うのです。

実はその前に同じ五木寛之の自伝的作品《大河の一滴》という単行本も読んで差し上げていたのですが、そこに描かれていたのは作家の悲痛な過去の足跡。

多感な中学時代に海外から引き揚げて来たのですが、その時期、敗戦国民として家族が享けた悲惨な体験が描かれていたのです。

五木寛之は私と同年齢。しかも私自身も海外からの引き揚げ者。

そうした、いわば共通点もあって、私は彼の思いが痛いほど解るような気がしてならなかったのです。

やがて歳月は流れ、私は間もなく九十二歳。

この歳になって驚くのは、同じメメントモリという言葉を当時の私は《享楽への戒め》としか解釈していなかった!ところが今はそうではありません。

人間誰しもいずれ死なねばならない。それも私達高齢者にとっては、極めて近い将来に。

だったら死への恐れや哀しみだけに囚われず、《いまわの際まで輝いて生きよ!》と。

最近になって私は《メメントモリ》を、そんな風にも解釈している自分に気が付いたのです。

皆さんも或る年齢に近づいたら、この気持ち、きっと解って肯いて下さるのでは?