鶴遊的、今年一番の出来事といえば、引っ越しをしたことだろうか。江戸川区平井二丁目、亡き師匠と通った銭湯の上階に、七年余り住まいをしていたが取り壊すとのこと。更新をしたばかりだったのに退去を求められた。上京から二十数年、住み慣れた町でもあるし、昭和28年に第一回芸術祭賞を受賞した五代目田辺南龍先生以来、田辺派の講談師が住み続けているという事もあり、平井から離れるわけにはいかない。ところがこの数年、平井の家賃相場は上がったとかで部屋探しは難航。長らく住んだ平井駅南側を諦めて、蔵前通りを越えた駅の北側に目を向けると、平井六丁目に手頃なマンションが見つかり、契約をした。大家さんの名前が桂子さんとおっしゃって、母親と同じ名前。スカイツリーの眺望が気に入ったこともあるが、お隣が「中の湯」というのが決め手になった。一鶴が始めた銭湯寄席「東京ニューヨーク寄席」は江戸川区内の銭湯を巡回。師匠没後は私が引き継ぎ、来年秋頃には百回を迎える。中の湯さんは、今年一月に開催頂いたばかり。図らずも、銭湯の上から銭湯の隣への転居。つくづく、お風呂屋さんにご縁があるものだと思う。
部屋は以前より狭くなったが、荷物は七年間でだいぶ増えたから、その納め場所も必要。また、川口市のお客様宅に置かせてもらっている一鶴の資料も、いつまでもそのままにしておく訳にはいかず、両方置けるような場所を探さねばならなかった。倉庫を借りる程度の安さで、広さがあり、勉強部屋にも出来るような・・そんな都合の良い物件あるわけがないと思ったが、持つべき物は友達で、東海大の同級生で沼津市役所資産税課に奉職する渡邊大輔君の友人の、知り合いの知り合いが空き家をお持ちという。内見に伺うと、二階建てで広さ十分のオール電化住宅。家主・真部さん夫妻のご厚意で安くお借りすることに。真部さんの親類、向かいの佐藤曜子さんが色々と面倒を見て下さるのも心強い。この静浦地区は、近くの沼津御用邸をはじめ、明治の元勲がこぞって別荘を構えた風光明媚な土地柄。ここ数年、渡邊君の助言から、沼津の偉人「江原素六伝」を口演するようになり、沼津訪問の機会が増え、縁も広がったが、まさか沼津に拠点が出来ようとは思いもしなかった。沼津に荷物搬入の当日には、渡邊君が知らせてくれたのか、頼重沼津市長が「鶴遊さんようこそ」と、メッセージをSNSで発信して下さったと聞き恐縮した。引っ越し作業は、講談の後輩に加え、浪曲・漫談・落語といった演芸仲間にも手伝ってもらった。搬入後は、目と鼻の先の伊豆長岡温泉で慰労会を催した。そのうち沼津で、今回手伝ってくれた面々が出演する演芸会が出来ればとも思う。夏場は海水浴も楽しみな沼津で、夢が広がる。
8月の終わりには、6月に続き今年二度目の青森県へ。母親を連れて仕事抜きで訪れた。学生時代に見た十和田湖へもう一度行ってみたいという、母の願いを叶えようというもの。時おりしも、ノロノロ台風の10号が上陸。計画運休で東海道新幹線がいつ止まるかわからないという状況も、なんとか静岡から来た母と東京駅で合流。東北新幹線を一路、まず八戸へ。曇り空のもと、蕪島神社から種差海岸までバスで巡った。八戸といえば、親交のある津軽三味線奏者、松田隆行師の地元。以前、講談会で伺った際、松田兄の後援者で地元の大企業、三八五交通の小笠原社長に打ち上げでお連れ頂いた喜平鮨の、皿に山と盛られた焼きウニの味が忘れられない。お店をご紹介いただこうと社長に電話をすれば、「ご一緒しましょう」と嬉しいお言葉。地元産のイカやウニなどをたっぷりと。母にも食べさせてあげることが出来た。社長が、「明日はどうするの?」「奥入瀬から十和田湖までJRの路線バスが出てるので、あちらで一泊して帰ります」「あのね、ウチはタクシー会社なんだよ。二日間、観光タクシーで送ってあげよう」という一言に、親子でビックリ。はじめは遠慮をしていた母も、「冥途の土産・・」と甘える事に。翌朝は、本当に三八五タクシーがホテルまでお出迎えで、まず十和田市内へ。現代美術館には七十代の母も大喜び。予定外に寄ってもらったのが「新渡戸記念館」。新渡戸稲造先生と一族を顕彰する施設で、新渡戸稲造は後藤新平とも深い関わりがあり、以前から訪問したいと思っていた。新渡戸先生が講談好きなのは知っていたが、「実は講談師になりたかったんですよ」という角田美恵子学芸員の言葉には親近感が湧いた。新渡戸富恵さんにもご挨拶。稲造博士と一族の墓前で両の手を合わせた。来年は、「新渡戸稲造伝」にも挑戦してみたい。奥入瀬渓流から十和田湖を遊覧する頃には晴れ間に青空がのぞいた。翌日は、酸ヶ湯へも周って帰途についた。寿命が二十年延びたという母。大腹中の小笠原修社長には、足を向けては寝られない思いだ。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。芸能社を経営していた父のもと2歳から芸能活動。父の友人だったヒゲの講談師・田辺一鶴に師事、9歳で田辺チビ鶴の名前で初高座。東海大大学院政治学研究科中退後、師匠の住む江戸川区平井に住まいして、講談協会にて前座修業開始。平成21年師匠没後は、師匠の弟弟子にあたる宝井琴梅門下。平成27年、真打昇進し、田辺鶴遊を襲名。丁寧な取材と資料収集に基づく講談の創作がモットー。自作の「後藤新平伝」「新島襄物語」はNHKラジオ深夜便で放送され好評。最新作は「尾崎咢堂伝」。日本テレビnews every.特集のナレーションを長年担当。朝日新聞千葉版の笑文芸読者投稿欄「千葉笑い」五代目選者。
<出演予定>お問い合わせは・・・それぞれのホームページをご覧ください。
◎11月1日18時~、静岡市・中勘助文学記念館「秋の夜長に楽しむ古典芸能」鶴遊作「中勘助物語」を初演。
◎11月21日14時~、江戸川区・宝来湯「東京ニューヨーク寄席」お風呂も講談も無料。
◎12月2日昼、四谷荒木町・津の守「津の守講談会」講談協会主催。
◎12月中、昼、お江戸両国亭「午年(うまどし)五人男」開催予定、詳細未定。同い年、芸種違いの五人の演芸会。