KIRACO(きらこ)

通訳の功罪

2025年5月8日

独断独語独り言

 2024年3月以来さまざまな場面で通訳がこれほど注目されたことはなかっただろう。

 衝撃の事件、大リーグファンのみならず、横領の額の大きさにアングリ開いた口が塞がらなかった諸氏が日米両国でどれほどいたろうか。全幅の信頼を寄せていた通訳の裏切りによる傷の深さは想像するに余りある。私のような小者なら心臓麻痺を起こしただろう。復讐の鬼と化し、暗く燃え盛る瞋恚の炎で火傷しながら夜な夜な藁人形に五寸釘を打ち込んだり、黒魔術の通信講座を探し夜通し検索したかもしれない。大谷選手の偉大さは微塵もその傷を見せないことだった。

 世界に拠点を移した「お片づけ名人コンマリ」は講演を全て日本語で通すそうだ。彼女は整理術のプロ、言葉は言葉のプロに任せる。自分の拙い英語で四苦八苦言っても伝わらない。それよりも以心伝心、彼女の考え思考を十二分理解できるツーカーの仲の通訳に

 100%任せる方が的確だという。そして私は日本人、という自負も。

 今年2025年2月末のトランプ米大統領と、ウクライナ大統領ゼレンスキーの会談は史上最悪の惨事だった。軍との連帯を示すTシャツ姿も視点と立場の違いで物議を醸すようだが、意表を突かれたのは「ゼレンスキーの最大の失策は通訳を伴わなかったこと」だったという。通訳の役割は忠実な逐語訳ばかりではない。ゼレンスキーは単身でホワイトハウスを訪れ、対する米側は繰り返す問題発言で取り沙汰されるバンス副大統領以下複数。正副大統領二人の態度はまさに立場の弱いものに対する虐めだった。けれどトランプのやり方を熟知する上院議員から事前に「挑発に乗るな、罠にはまるな、自重せよ」と忠告は受けていたという。もしもあの席に冷静で経験豊か頭脳明晰な通訳がいたなら、緩衝材となり冷却材の役を務めただろう。即時状況判断し的確なアドバイス「落ち着け、少し間を空けよう、ここは繰り返し、ここを強調すべき」などのメモを手の内でそっと見せたりするのは通訳の最重要の役目だと言われる。

 新たな日本文化に人気が出て以来、日本学科出身の日本人以外の独和通訳も多くなった。頼もしいことではあるが、日本人を理解していないと通訳不能の事態も起きる。マラソンで日本人女性が優勝したときのインタビュー。日本人なら常套句の「ここまできたのは皆様のお陰、一人の力では成し遂げられないこと」という趣旨の受け応えをしていた。この思想は日本人以外には理解できないだろうと思った。案の定、やや長めの間を置いて訳されたのは「自分の努力の結果です」だった。いくらなんでもイヤクし過ぎじゃない、と思ったが無理もない。お蔭様思想はここにはない。そもそもドイツ人はチームプレーが苦手だ。かつて天才少女と言われた競泳選手がいた。各種目メダリストが揃うチームで数値のみ見ればダントツ優勝候補、がメドレーリレーは惨敗。怒りに頬を赤くした彼女は「だって調和がないんだもの」と憤っていた。パリオリンピックでも陸上混合リレーは走者選出以前に険悪な仲になりこれもまたほぼ不戦敗というべき敗北。通訳は言葉が達者だけではできない。本質の理解こそが肝心なのだ。

 昨秋、市民講座美術系グループの展覧会があった。同じ二次元芸術でも「書」はここでは特に異色の存在だ。会場詰め当番のとき、首を傾げて眺めていた鑑賞者に問われた。「 これは一体、何?書かれた文の意味が大事なの?何を観ればいいの?」

 訳は「やく」であり「わけ」である。「分け」と同語源。表現されたものの内容意味を分かるように伝えるのが通訳だ。けれど自分でもまだ正解と思える訳語が見つからない。

 意訳異訳違訳、同音異義語のグラデーションが内耳にこだまする。

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