KIRACO(きらこ)

Vol138 鶴遊・日々雑感

2019年9月26日

一鶴遺産

鶴遊・日々雑感

4月13日、江戸川区・新川さくら館にて開催の「えどがわ講談の会」。亡き師が始めた銭湯寄席でお世話になっている浴場組合の協力と、御贔屓皆様の御来場で盛会に。二代目東京コミックショウが出演。初代は「レッドスネークカモン」で一世風靡のショパン猪狩師。その最後の弟子・富永和宏君こと「とみーとみー」は古い友人。かつて箱の中で蛇役をつとめた初代のおかみさんから、二代目継承を許された。富永君と、相方で、箱の中身をつとめている「たけのうちスズめ」さんとは良い雰囲気だったが、平成の終わりに駆け込み入籍したと聞く。初代同様、夫婦二人三脚の芸を、名実ともに継承して頂きたい。
 夫婦芸人といえばジャグリングの「あおき三朝うたこ」の御両人。私が名古屋・大須演芸場に初出演した時、その芸に驚嘆。私も子供の頃に、バナナの叩き売り・辻講釈などで出演した「大須大道町人祭り」にも参加、芸を磨いたという。演芸場がハネると、毎晩飲み歩いた。二人が東京進出をして久しいが、さくら館の楽屋を訪ねてくれた。終演後、講釈師たちとともに打ち上げに。後日、そのお礼にと新米を10キロも。元来、三朝さんは伊勢太神楽で修業を積んだ。今も年始から数ヶ月は、贔屓の村々を巡業していて、滋賀の農家から大量に頂いたお米という。自炊をする独身講釈師には、何よりのおすそ分けだ。
 滋賀県は、大師匠・田辺南鶴の生まれ故郷。講釈場の常連が開設する講談のホームページに、「三方ヶ原軍記」の台本を希望するメールがあり、それが南鶴先生のお孫様からという。すぐに、南鶴先生が主宰した「講談学校」生徒用に作成した台本のコピーと、私が秘蔵の、大師匠ご自身が吹き込んだ録音テープをお送りしたところ、お電話があった。お孫さんは演劇の世界へ進まれて、幼い頃に浦安にお住まい。やはり浦安育ちの若き日の一鶴が、食いつなぐ為に開いたであろう雑貨屋を、手伝った事があったという。現在は江戸川区内に在住というのもご縁。そのうちに、大師匠周辺の逸話を伺う事が出来ればと思う。
 久々に静岡のSBSラジオ・寺田愛さんからのご依頼。番組司会者・二村豊人氏に「三方ヶ原」を三週に渡り伝授。大石りえPは、以前、阿藤快さんの番組を担当していたという。生前、番組出演がきっかけで阿藤さんには可愛がって頂いた。どんな小さな講談会にも、阿藤さんから、一際立派なスタンド花が届き、どれだけ勇気づけられたかわからない。収録中のスタジオに、榛葉英二常務がお越しに。平成の初頭、雲仙噴火の避難所慰問の様子など、当時の私を密着したSBSテレビ制作「親の目子の目」は、とある番組賞を受賞。その担当が榛葉さんだった。約三十年ぶりの再会には感慨を覚えた。令和の御代となってもなお、御縁で生かされている事を実感している。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
講談師。朝日新聞千葉版木曜掲載「千葉笑い」選者。2歳より芸能活動。8歳で田辺一鶴に師事「田辺チビ鶴」として話題。師匠没後、宝井琴梅門下。