KIRACO(きらこ)

Vol148 「梅」見てよし食べてよし

2021年4月1日

漢字を楽しむ

「梅」見てよし食べてよし

梅は見てよし食べてよしの植物である。どちらが利用価値を高めたかといえばもちろん食のほうだったに違いない。

日本の古典『古事記』『日本書紀』には梅の記述がない。『万葉集』になるといきなり百十九首と、萩の百四十二首に次いで第二位に躍り出る。そのうち約四分の三は作者が分かっている。ということは上流階級に好まれた、庶民の花ではなかったといえる。天平二年(七三〇)正月十三日(現歴二月八日)大伴旅人は自宅で梅花の宴を催した。招いた客三十一人と主人の歌から、当時の人が梅とどう接していたかが見えてくる。枝を手折り、挿頭にしながら遊んだ。花を盃に浮かべたりもした。香りを詠んだ歌は巻二十に一首あるだけで、出てこない、万葉人は梅の香りに無関心であったようだ。

ウメは烏梅と書かれていることが多い。中国の烏梅というのはウメの燻製、かまどの上でいぶして作るから真っ黒になる、従って烏の字を当てる。これが薬用とされ日本にも伝わった。梅は中国の音そのままに読まれてメ、上に母音をつけてウメとした。ウに知られている烏を当てたと考えられる。平安時代にはムメとも読まれた。

梅は中国からやってきた。白梅は奈良時代に、紅梅は平安時代になってからである。『古今集』の時代になると、花の姿だけではなくその香りも好まれるようになった。『枕草子』に「木の花は濃きも薄きも紅梅」とあるように、白梅とは区別されてきた。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」の歌で有名な飛梅伝説は、菅原道真が九州に流されたときに庭の一枝が太宰府まで飛んでいったというもので、紅梅とされる。ただし、太宰府天満宮にある飛梅は白梅とか。

楳・好文木・花の兄・春告げ草・匂い草・風待草、みな梅の別名である。梅の異字体を見ると楳を始め六字が並ぶ。中には呆を横に二つ並べた槑があるし、その呆一字も梅の異字体であるという。