KIRACO(きらこ)

Vol151 あなたのことを忘れない

2021年9月2日

独断独語独り言

Vol151 あなたのことを忘れない

大震災の映像だった。
瓦礫の下から奇跡的に救出された高齢の女性の第一声が「ありがとうございます」だった。
そのニュースが世界を駆け巡り、人々を驚嘆させた。
なんと奥ゆかしい、素晴らしい、と。
正直に言って「ありがとう」がなぜそこまで賞賛されるのか不思議だった。
それから日本の家族友人に機会あるごとに訊いてみた。
こんなとき、先ず何て言う?暫し考える人、即答する人、一様に「有難う…他に思いつかない」だった。
では日本以外では、ここドイツでは何と言うのだろう。その疑問がずっと心に残っている。

そしてこの未曾有のコロナ禍である。気がつくと既に季節も一巡し、さらに強力な変異株も出現して終息の目処は立たない。
国、民族によって対策と反応も実に様々だ。
なんとドイツではマスク着用の義務、自粛に対して「民主主義の弾圧だ」と敢えてマスクを着けずに密集してのデモが頻発したのだ。警官に唾を吐きかけ、報道陣に喰ってかかる。行動の自由を奪うのは違憲、陰謀論だ、と言うのが彼らの主張だ。しかも理性と道徳の手本になって欲しい中年以上の多いこと。私には理解不能の、この現実はショックだった。

マスクの着用は自分を保護し他者への感染も防ぐ。これ以上状況を悪化させてどうなると言うのだろう。日本を訪れ、止む無く朝の殺人的通勤ラッシュに巻き込まれた経験を持つドイツ人もいる。彼らは、酷い目にあった、と言うより寧ろ感心する。
これがドイツなら修羅場になっているだろうと。私もそう思う。実際(日本の比では無い)満員電車でのトラブルは結構あるのだ。お互いに避けられる摩擦は避け、不可能な中で可能な限り共存を望む。仕方ないと言う諦念は消極ばかりではない、その先の方途を探ぐる哲学だ。

憂国の情を持つと言うわけでは無いが、ここに住む者として心配になってきた。
そこで烏滸がましくも市民大学で「共に生きるための日本人の知恵」と称し講義をした。
日本人なら誰でも口を衝いて出る諺や成句を並べただけである。が、ドイツの人々には耳新しかったようだ。「油断大敵」「天災は忘れた頃にやって来る」から「相身互い身」「お陰様」「臨機応変」「一蓮托生」など。そして「有難う」。

有難うを漢字で書くたび「簡単では無いことを、敢えて私のために」と感謝の気持ちが一層強くなる気がする。日本語講座でも語源から説明している。大災害において、自らの命を賭して人々を救い犠牲になった方々もいる、有難うとはそう言う言葉です。生易しいことではなく、尊い、稀有な、文字通り「有ること難し」の行為に対しての言葉です、と。

戌年生まれの探索犬の血が騒ぎ、ドイツ語の動詞ダンケンも気になった。「ダンケ・シェーン」は誰もが知る、旅の会話の初めの一歩。
「考える=デンケン」に似ているとは感じていた。
案の定、ダンクの語源は「思慮」に等しく「思いに留める」だった。
英語のサンク=感謝もシンク=思考、思慮深い、を語源とするようだ。
あなたのことを忘れない。
ずっと思いに留めておく。
いい言葉、素敵な言葉だ

贈り物をしてそれが幸い心の琴線に触れた時など、「ダンケ!これを見るたびあなたのことを想う」と言ってくれる人がいる。
日本語の有難う、忝い、は恐縮に通じ、相手への思いを包み込み伝える感があり、ダンケにはその行為から始まる心の交流が感じられる。
砂漠の狐と星の王子さまのように。
麦畑を見るたび君を想えることの幸せ。
あなたに出逢えてよかった、有難う、あなたのことを忘れない。

講義は6月だった。その一月後ドイツ中西部で想像を絶する大水害が起こった。
思わず鳥肌がたった。
話を聞いてくれた人はどう思っただろう。
ここぞとばかりに秋の総選挙に向け作業の邪魔になるだけの政治家が参集した。
救助作業はその度ストップされる。惨状を目の当たりに「だから言ったじゃないか」を声高に叫ぶ人間の気が知れない。

しかし、全てを失った人々の「消防、国防軍、警察そして近隣の人々皆にダンケ・シェーン」は心からの言葉だった。

あなたのことを忘れない。

共に生きるための生活の知恵
Die japanische Denkweise zum
” leben und leben lassen “

1. 共存共栄 Kyouson-kyouéi
共 = kyou, tomo = zusammen
存 = existieren, leben, dasein
栄 = Éi, Sakae-ru = aufblühen, gedeihen
Leben und leben lassen