この一字、音ではショウ・ソウ、訓読みではよそおう・よそうと読む。昔は裝と書いた。衣+壯(壮)で、壯は倉に通じ、しまう・かくすの意味。衣服で身をつつむ・よそおうの意味を表す。もう少し詳しく見れば、身支度する、装束・仮装・武装。飾る、装飾・塗装。取り付ける、装甲車・装置。身支度するのもとは旅支度をするだったと思われる。
馬子にも衣装という言い方がある。馬子のような身分のいやしい者でも衣装によっては立派に見える。つまらない者でも外面を飾れば立派に見えることをえていったもの。今だったら職業蔑視と使用禁止用語に指定されそうなところ。この外にも、猿にも衣装・枯れ木に衣装・切り株にも衣装と、さまざまに言い換えられる。
確かに世間では内容よりも外見が重んじられやすい。初対面の第一印象が大事であり、浮世は衣装七分とも言われる。それを心得ているものだから、わざわざ擦り切れたジーパン姿で青春を謳歌していた若者が、就職試験となればパリッとしたスーツ姿に一時変身したりする。
人は衣服をまとい、装飾として装身具を身につける。ところが歴史的に見ると、装身具の多くは衣服に先行するものらしい。装身具の大半は護身用に始まるものと考えられるからである。その一は病気やけが、死などの災害を予防するものだった。人体に悪霊が入り込む穴や通り道をふさぐために耳飾りや鼻飾り、首飾りが使われた。その二は人体各部にいる生霊に身体管理をしてもらう。生霊が遊びに出かけないように、鉢巻や腰飾り、指輪や首輪をつける。
やがてその地域の支配層の人々は、高級品を身につけて自分を権威付け、そこに個性や美を求めるようになった。偉そうな口を利いている現代人もまた似たり寄ったり。