昨年夏のあの地獄の猛暑!
でも自然は決められた通りに、ちゃんとページを捲めくってくれて、陽射しの暖かさが身に沁みる秋の到来です。
そんな素敵な季節の中、毎年決まって開かれるヴァイオリンの《ミニコンサート》に、今回も行ってきました。
会場は四谷のニューオータニ。
演奏者のバースディパーティをも兼ねた、いわば《ファンの集い》なのです。
何回か、このエッセイ欄にも書かせて頂いた《川畠成道さん》。
以前、《背中に湿布のカーネギー》というタイトルでも書きましたが、私が彼の衝撃的なデビューを知ったのは、一九九七年の朝日新聞《天声人語》に掲載された文面から、だったのでし
た。
その後暫くして、ある友人から《目の不自由な彼の為に、本を一冊朗読してあげて欲しい》と頼まれた事から、すべては始まったのです。
もちろん、喜んで朗読させて頂きました。でもその後まさか四半世紀の余までそのヴァイオリンの美しい音色の虜になり続けようとは!
それもただ聴く、だけでは飽き足らず、何と、彼のために私のこの手でファンクラブを立ち上げよう!と、その時固く心に決めた私なのでした。
そうです。それは確かに常軌を逸したとんでもない発想だったかもしれません。
だって、なんの経験もない、ただのおばさんです!経験だけならまだしも、お金も全く無い。あえていうなら、ただ自分が仕事として長年エレクトーンの講師をやってきて、音楽の美しさだけは骨の髄まで沁みついている、ただそれだけの私でしかなかったのですから。
朗読したのはトルストイの《クロイツェルソナタ》でした。
テープをお送りしたら、《近々王子ホールでリサイタルを開きますので、宜しかったら…》との事。
そのコンサートでの衝撃は今も忘れる事ができません!
兎に角、川畠成道にしか出せない、その音色。胸のうちに沁み込み、何時しか涙が頬を伝うのです。
この感動をもっと多くの人々と分かち合いたい!なんとか会員を募りたい!
その時ふと思い浮かんだのが、昔、鹿児島での高校生時代、同じ音楽部で演奏活動をしていた頃の仲間たちの顔だったのです。
終戦直後、空襲で焼け崩れた校舎の片隅で、それぞれが持ち寄ったヴァイオリンやギター、マンドリン。ハーモニカまでも。
焼け残ったオンボロのピアノを囲み、それまで音楽に飢えていた青春時代を取り戻すかのように、夕方暗くなるまで夢中で練習を続けた私達でした。
殊に合唱では、鹿児島県内の高校の中でも一番最初に混声合唱に取り組んだという、そんな私達《川内高校音楽部》だったのです。
福岡での合唱コンクール出場の為、資金集めにあちこちでコンサートも開きました。なんと刑務所にまでも!です。
兎に角、音楽が楽しくて、まるで突き動かされるような日々でした。
当時日本国中を視察して廻られていた天皇陛下、今は昭和天皇の行幸を仰ぐという栄誉にも預かりました。まさに御前演奏です!
今にして思えば夢のような音楽三昧の日々…そんな私達なのでした。
その中でもリーダー的存在でいらした一年先輩の男性に、私は今回の川畠成道ファンクラブ設立の野望についてまずご相談してみようと思いついたのです。「兎に角、一度聴いて上げて下さい」と。
当時私たちは、もはや還暦を過ぎてはいましたが、あの高校時代の仲間。すべてはツーとカー!なのでした。
先ず先輩が提供して下さったのが千代田区という、立地条件抜群の某マンションの一部屋。
その後、事務の経験豊富な同級生の女性も加わって下さって、ファンクラブは無事呱々の声を上げる事が出来たのでした。
さて、ここから先は私、ナカダの出番です。
刷り上がった「ファンクラブ入会ご案内」のチラシを手に、コンサートの度に各会場を廻り、帰り際のお客様に大声で入会お誘いのお声がけを!
なんと一年後には三百人もの方が入会して下さったのです!さすがにそうなると素人に運営は無理なのでプロの事務所に名簿ごとお任せすることに。
今年も、恒例の美味しいお料理を頂きながら、ファンクラブ設立当時の奮闘を懐かしく想い出している、幸せなシアワセな九十三歳のおばあちゃん、ナカダ…なのでした。
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