1月12日、静岡講談教室の「開講十五周年記念講談発表会」を開催した。
二ッ目時代に静岡文化クラブで講演後、「講談を習いたいのですが・・」とご年配の女性に声をかけられた。
廣瀬久子さんは、静岡で有名な青果店「イセトー」のおかみさん。
聞けば、素人劇団に所属しているがセリフに自信が無く、講談をやれば話術が身につくのでは?と考えたという。
亡き師匠一鶴から、「人様に教えることは、自分の勉強になるから」との許しを得て、月に一度、静岡の中心部にあるイセトービルのご自宅へ個人教授に伺うように。
しかし講談は、客に聞いてもらえる場が無ければ張り合いがない。
ともに学ぶ友人も居なければつまらないだろうと、広く生徒を募る教室を開いたのが平成21年9月のことだった。
十五年の歳月は、良きにつけ悪しきにつけいろいろなことが思い出される。
毎月の教室は、廣瀬さんの友人のつてで、静岡駅近くの昔の幼稚園園舎の講堂を会場に選んだ。
年に一度の新春発表会もここで開催するようになったのは、舞台があり、講談の稽古にはもってこいで、周辺の公共施設に比べて使用料も格安だったから。
しかし、ここの使用料の度々の値上げには、何度も頭を抱えた。
我が教室が、地元紙やテレビにラジオと、幾度もマスコミに取り上げられたためか、園舎を借りたいサークル等も増えたとみえて、所有者の寺が本格的に「貸し教室」の運営を始め、十五年間でなんと三倍の賃料に。
生徒に配布する台本のプリントなど、わずかばかりの道具を置いていたが、これにも一ヶ月で五百円の置き賃を取られるようになった。
冷房のある部屋はさらに、一時間五百円の追加料金もかかるとかで、やむなく、夏場以外は空調の無い、狭い部屋を借りることになり、生徒の参加費も二千円から三千円に上げるに至ったのだが、かつて一鶴が主宰していた「講談大学」のように、年会費も入会金も取らない自由度の高い教室のため、毎月の参加人数もまちまち。
それでも私には、必ず東京~静岡の往復運賃がかかってしまうわけで、はっきり言って商売としては成り立っておらず、「もう、やめちゃえば?」と言う生徒も出る始末。
また、運営が寺のためか、会場使用後の清掃についてもやたらと厳しい。
その為、発表会の当日などは、一時間分余計に使用料を払ってまで念入りにお掃除を。
高齢の生徒ばかりだが、この時ばかりは小僧さんの如くに雑巾がけやら掃き掃除、トイレ掃除と勤しんだ。
それでも後日、寺側から「トイレが汚い」などの苦情が。
皆、あんなに一生懸命掃除をしていたというのに、いったいどれ程のレベルのキレイさを求めていらっしゃるのだろう。
利用者が、なるべくきれいに使うのは当然の事だが、他の公共施設同様の高い使用料を取るようになったのだから、清掃も他の施設と同様に会場側の仕事では?我々は修行僧ではないのだよ!とも思ったが、もとより、自らの勉強のためにとはじめた講談教室。
台風の接近など、交通機関が止まるかもしれないという時以外、めったに休む事は無かった。
平成26年4月に開講した東京講談教室の生徒たちとの合同発表会に、名古屋方面に静岡県内、遠くは函館に至るまで、講談ゆかりの地を巡る修学旅行などイベントも開催。
楽しい出来事も多々あったが、新型コロナには悩まされた。
外出はいけない、話してはいけない、集まってはいけない等々、今となっては少し滑稽にも思える極端なコロナ対策で、休講を余儀なくされた。
その間は、郵送での講談台本の添削を続けたが、東京・静岡ともに、教室の再開や発表会開催の是非など、高齢の生徒達と軋轢も生じ、辛い時期だった。
数多の生徒が門を叩いてくれたが、お辞めになった御仁もまた多数。
三十歳で開いた教室だから、ほとんど年上の生徒ばかり。
年下の私に指摘され、不満を持つ生徒も多くいたが、だいたいが程なく顔を見せなくなる。
素直な方ほど長続きの傾向が。
年に一度は鶴遊に良い思いをさせてあげようという事だろう、廣瀬さんを中心に生徒諸氏が、たくさんの友人知人にお声掛けくださり、毎年、静岡の新春発表会だけは大入りになった。
昨秋、「銀の匙」で知られる静岡ゆかりの作家、中勘助の伝記を中勘助文学記念館で初演した際に出会った、コピーライターの天野のりこさんが、今年の発表会を熱心に取材。
1月26日の中日新聞静岡版に「すべて、人のご縁」というタイトルで大きく掲載された。
思えば、「鶴遊や講談界を応援してあげよう」という、奇特なアマチュア精神を持つ生徒の皆さんに支えられての十五年だった。
現在、西は岡崎・浜松から、東は沼津市からも生徒が通う静岡教室。
寺の都合で今の場所は三月まで。
四月からは、縁あって静岡駅南口徒歩数分の森下公民館で毎月第一日曜日に13時から。
新天地で講談研究を続けていく。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談家。芸能社経営の父の影響で2歳から芸能活動開始。
8歳、ヒゲの講談師・田辺一鶴に師事。翌年「田辺チビ鶴」で初高座。東海大大学院政治学研究科中退後、講談協会で前座修業。
平成21年、師匠没後は宝井琴梅門下。
平成27年、真打昇進し「田辺鶴遊」を襲名。
丁寧な取材に基づく「尾崎咢堂」「江原素六」「遠藤実」等、明治以降の創作人物伝が好評。
NHKラジオ深夜便「後藤新平伝」が話題、3月再放送予定。
朝日新聞千葉版の笑文芸投稿欄「千葉笑い」五代目選者。
日本テレビnews every.特集のナレーションを長年担当。