これまでもなかなか多彩な顔ぶれだったけれど、今期初級日本語クラスは実に多国籍だ。メンバーは私も入れて10人七ヶ国。なんとドイツ人は4人の少数派。スペイン、コソボ、中国、ルーマニア、カザフスタン、日本そしてドイツ。
講座を始めて6年目。初めは個々の生徒より、授業への反応が気になっていたし皆ほぼドイツ語が母語なので特に意識しなかった。どう発音するのだろうと戸惑うほぼ子音だけで成る名前があると他国出身かなとは思った。「どちらのかたですか?」「ドイツ人です」という表現を習う頃に改めてここは欧州なんだと実感する。3クラスで親の国籍がそれぞれ違うとさらにギリシャ、クロアチア、アルジェリア、チェコ、ベラルーシ、セルビア、フィリピン、イラン、ロシアも加わる。
義務教育で習った世界地図もずいぶん塗り替えられた。ドイツだって二つあったのだ。自国を紹介するのに苦心する人もいる。正直なところ、かつてのユーゴスラビアが幾つに分かれそれぞれがなんという国になったのか、御免なさい、存じませんでした。で、コソボの青年は故国の定義に苦心していた。数ヵ国はコソボを国家として認めていない。「元のユーゴスラビアで民族としてはアルバニア人で…まぁコソボ人ということで」。我が家の隣人は「アルバニア人だ」と名乗る。チェコスロバキアも今はない。あの威圧的ソビエト連邦も1991年に解体された。呆然としすぎて逆に旧ソ連の体操選手が数ヵ国に分散されたら他国のメダル獲得が難しくなると暢気に思ったものだ。
遊学時代。自分でハンドルを握ると道路標識を意識するようになった。右に進むと東北、左は中部関西、直進すると関越へという感覚でアウトバーンは途切れなく真っ直ぐ南下でオーストリア、右へ行けばスイス、イタリア。国名というより単に地名。前後左右走る車も日本人には思いつけない識別コードをつけている。CHを見たとき初めはチェコかと思った。Eはイギリスだろう。正解はCHはスイスの古名ヘルヴェティア連邦、Eはスペイン、イギリスはグレートブリテンでGBだった。なるほどね。
次に多国籍を実感したのは1999年のユーロ導入時。子供たちは夢中で各国のコインを集めていた。コインの裏側は加盟国独自の刻印だ。あっという間に集まり蒐集の対象から外されたのはオーストリア、イタリアだった。これは大変興味ある、また納得のいく現象だった。住居と仕事場が国境を跨いで、という人もかなりいる。春が訪れると北イタリア、元オーストリア領のドイツ語圏チロル地方からジェラートがやってくる。貨幣の流通はそのまま人の流れだ。最も希少価値があったのがアイルランドのコイン。竪琴の模様は滅多に見かけなかった。
そして携帯電話隆盛の多言語。マナーモードなんてものはない。聞こえが悪いので大音声で喋りまくる。降車駅まで延々と痴話喧嘩を聞かされ、忘れた財布の在処を事細かに説明され、嘆く老母を懸命に慰める声も嫌でも耳に入ってくる。飛び交う言葉の大半は見当もつかない言語だ。
今日では性別さえも3種類の選択肢。ことほど斯様に多様で多彩。…ところが、だ。
感想文も論文もビジネス文書も個人的書簡すらも人工知能に頼り、皆同じことを書き同じ間違いをするという。恋人へのメッセージすらAIを使うときくと滑稽を通り越して心配になる。多種多様異種を認め合おうという流れのはずが、寧ろ単一同一、単細胞、短絡思考に甘んじようとしている。脳と感情の働きこそが「自己」だったはずが、ぬるりつるりと均質同質化していく。多様だったはずの個々の存在が消えてゆく。頭脳労働の放棄は自己の放棄、多様の否定に他ならないのに。
身近な国識別コード
A オーストリア
B ベルギー
BG ブルガリア
CH スイス
CZ チェコ
D ドイツ
DK デンマーク
E スペイン
EST エストニア
F フランス
FL リヒテンシュタイン
GB イギリス
GR ギリシア
H ハンガリー
HR クロアチア
I イタリア
L ルクセンブルグ
LT リトアニア
LV ラトヴィア
NL オランダ
PL ポーランド
UA ウクライナ
RO ルーマニア
SK スロバキア
SLO スロヴェニア
TR トルコ