5月17日まで浦安市郷土博物館で開催の企画展「浦安の大衆芸能」。若き日、浦安に住んでいた亡き師匠・田辺一鶴ゆかりの品々が、エレベーターホールと展示室内の二か所のブースに展示中。明治36年から昭和40年にかけて堀江にあった寄席「浦安亭」に関する資料を中心に、浦安の人々の大衆芸能にかける思いが紹介されている。
昭和4年2月9日、東京の滝野川区西ヶ原で生まれた亡き師匠(本名・佐久間秀雄)は、昭和15年11歳の時、浦安尋常高等小学校向かいの紙・文房具屋フタバヤの養子として浦安町へ。厳しい養父のもとで、寂しかった秀雄少年を慰めてくれたのが浦安亭で見た演芸の数々。ここで聞いた初代神田ろ山の侠客物「清水次郎長伝」が、講談との出会いだった。関東商業(現関東一高)卒業後は、店番のかたわら青年団の文化部長や、少年野球の監督を務めるなどしていたが、やがて浦安を飛び出し、昭和29 年、はじめは吃音矯正を目的に十二代目田辺南鶴に入門、田辺一鶴の名で前座に。芸名の由来は、「きらこ」の創刊号に詳しいが、夢は大きく持ちたいものと、浦安言葉で大きくでっかくを「いっかく」ということから名付けられた。結婚式はフタバヤ裏の御岳教会で挙げたが、真打になるまでは帰らないと決意、再び浦安を離れた。新作講談「東京オリンピック」で人気に火が付くと、昭和48年秋に晴れて真打に昇進。同年10月29日、かつてのフタバヤの隣に建つ中央公民館で「田辺一鶴真打昇進リサイタル」を開催。当日の模様はフジテレビで放送され、熊川好生町長(初代浦安市長)がポケットマネーで会場費を出してくれたという。十年ぶりに浦安に帰った。
3月28日、この企画展と連動する「しんうら寄席特別編・浦安の人々を魅了した大衆芸能」に浪曲の東家一太郎&美夫婦と出演、私は「田辺一鶴伝~一鶴浦安に帰る」という題で口演した。会場のWave101大ホールは音響も照明も抜群で、担当の大塚一英さんらスタッフ皆さんが親切。指定管理者うらやす財団の石川豪三理事長は浦安亭のご親戚だった。きらこ第135号「浦安亭をめぐる人々」に書いた、初代席亭の孫で歯科医だった熊川博先生ご夫妻とも再会。他にも会場には熊川さん一族が大集合した。感激したのは、数多の名人上手が叩いたであろう、当時浦安亭にあった釈台を使わせてもらえたこと。熊川先生いわく、閉館後は自宅で踏み台として使っていたというのには驚いたが、張り扇の音が心地よく響いた。熊川先生は、フタバヤで店番をしていた師匠の姿を覚えているという。「田辺一鶴伝」は元々、師匠が亡くなった直後に創作発表。亡き師の十八番「東京オリンピック」を入れて、これまで全国各地で演じてきたが、今度の台本には浦安時代の逸話をたっぷり加えた。年配のお客様がうなずきながら聞いて下さったのは何より嬉しかった。
きらこ第146号「一鶴遺産のゆくえ」で書いた通り、亡き師匠に関する資料や遺品は、全て私が預かっているが、一昨年、保管先を川口市から静岡県沼津市へ移した。大学時代の友人が沼津在住。その友人の知人の知り合いの一軒家が空き家で、安く借りられることに。一太郎君ら後輩たちに引っ越しを手伝ってもらった。旧沼津御用邸の近くで風光明媚、昨夏は一太郎夫婦が海水浴に訪れたほど。一鶴伝を作り直すため、師匠の資料の中から浦安時代がわかる物など、江戸川の自宅に持ってきていたのが幸いした。企画展の開催直前、郷土博物館からお電話が。島村嘉一館長の発案で、講談関連の資料も急きょ陳列をされたいとの事。すぐに手元の一鶴の資料をお持ちすると、喜んで展示をして下さるという。長年手つかずで置いてあった一鶴遺産が、少しではあるが、やっと日の目をみる時がきた。熱心な学芸員の井口周作先生が解説文を添えて下さる。師匠が得意だった「五人の密航者」「蜀山人」の台本や帯、師匠自作の張り扇に発売したレコード類、浦安小の集合写真や少年野球イーグレッツ監督時代の写真に「きらこ」の創刊号も。浦安が舞台の映画「青べか物語」(監督川島雄三)には、師匠が過ごした頃の浦安の町や浦安亭も映り込んでいるが、主演の森繁久弥が早世した川島監督を思い、活動を始めた芸能人の募金が「あゆみの箱」。亡き師匠は早くから参加し親しかったことから、講談協会機関誌「講談」の編集長を務めた時に題字を森繁先生に書いて頂いたが、その直筆の額も飾られることに。その後、井口先生の車で元千葉県議・宇田川敬之助先生の事務所へ。御年90 歳の敬之助先生は昔の浦安について一番お詳しい。先生のお話と著書で、漁師町浦安の子供たちの言葉づかいや雰囲気を感じ、これが一鶴伝に活きた。敬之助先生もやはり、フタバヤでの師匠を覚えていらした。中央公民館の真打披露にも足を運んだとか。またお話を伺いたい。浦安に来たら、師匠に会える気がする。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。江戸川区平井在住。芸能社経営の父のもと2歳から芸能活動。今年、芸能45周年。8歳でヒゲの講談師・田辺一鶴に師事、翌年、チビ鶴の芸名で上野本牧亭で初高座。東海大卒業後、講談協会にて前座修業。平成21年師匠没後は宝井琴梅門下。同27年真打昇進し田辺鶴遊を襲名。「後藤新平」「田中角栄」「尾崎行雄」等、幕末~昭和頃の創作人物伝が好評。朝日新聞千葉版の笑文芸欄「千葉笑い」の五代目選者。

