KIRACO(きらこ)

私の飲食業に入るきっかけ

2026年5月21日

吉成庸子さんのコラムを読めるのはKIRACOだけ

 さくらの花の季節がやって来た。

 さくらの花は、私の一番好きな花。それにいろんな思い出にも一番繋がっている花なのだ。大好きだった祖母と、市原の山奥の家の縁側から眺めたはるか向こうの山に咲いているさくらの花。はるか向こうなので花というよりは、ピンク色の大きな雲が浮いているように見えた。小学校四年生の二学期に転校してしまったので、市原のさくらは見る機会が無くなってしまったが、今でも私の心の中にいつでも浮かんでくる。市原の家もほとんど帰っていない。両親は市原に仕事上暮らしていたので、父母とは大人になるまで別暮らしだった。そして私は学校を卒業後すぐに虎ノ門で喫茶店を始めた。あの当時は、繁華街にも郊外にも、いろんな形の喫茶店がたくさんあった。私の通っていた学校はお茶の水にあったのだが、学校が嫌いな私は、サボってばかり。銀座の喫茶店にたむろしていた方が多かった。そんなことから、自分でも、喫茶店をやってみたいと思ったのだろう。丁度そんな時に父の知人が虎ノ門にビルを建てて地下を喫茶店かレストランに貸したいのだが、誰かしら紹介して頂けないだろうか?という話が来た。父が「レストランか喫茶店と言われてもなあ? 知り合いもいないし・・・」と考えこんでそんな話をしていた。私はその話を聞いた時、喫茶店をやってみたいという気持ちが強く胸の中に沸き上がった。学校を卒業したら特に何をやりたいたいとか思ったことはなく、二、三年、好きな芝居や映画を観て遊んですごし、見合いでもして結婚するのだろうな、なんて思っていた。喫茶店の話をすると父も母もビックリした。特に母は、大反対だった。私は一生懸命に頼んだ。まず父が、そのビルを一緒に見に行こうと言い出し、三人で見に行った。坪数も二十五坪、周りはビルばかりだった。

 帰ってから、父は持ち主の知人に電話をしていたが「どうしてもやりたいんだな?友達だからと言って、家賃を安くしてくれなんて言えない。内装のお金だってかなりかかる。どうしてもやりたいと思うなら、私が資金の方は作ってやる。だが、いい加減な気持ちなら、やめとけ」母が、「お父さんやめてください。お金を捨てるようなもんです。私は絶対に反対です」と叫んだ。そうして、私は「喫茶店」をやることとなったのだ。

 三か月後、私の店は開店した。開店時間は七時半から夜の八時まで。場所柄、モーニングサービスをやった方がいいと聞いて、始めることにした。バーテンダーさん一名、女の子は四名、これでスタートしたが、二十二才のママ(私)は、何も出来ず、従業員だよりだった。珈琲豆の種類を覚えるだけでも大変。

 お客さんをおもてなしするのもよくわからず、マゴマゴするばかりだった。日曜日は休みにしたが、毎朝六時に住まいをでるので、疲れてしまったし、夕方になると眠くなった。だが、私は不思議な
自分に驚いていた。商売をするのは、嫌でなかった。辛いけど楽しんでいる自分がいた。お客様に喜んでいただけるには?毎日来ていただけるには?と常に考えるようになった。三か月、四か月と月日が過ぎていった。その頃になると、最初はすぐに投げ出すだろうなと思っていた母をはじめ、周りの方々も、「しっかりやるんだよ」と応援してくださり、お客さんになりそうな近くの会社を紹介してくださるようになった。出前を取ってくださる会社等もあったが、私は出前を自分でやった。次第にお客さんで賑わう店になっていった。私が若かったので、皆様が助けてくださったこともある。従業員の中には、意地の悪い人もいたが、私はできるだけ、仲良くしようと心がけた。そのうちに、私は、父や母にまで、本当に商売が好きだなと思われるようになったのだ。家では、茶碗一つ洗ったこともないのにたくさんのグラスを洗ったり、手の足りない時は、カウンターに入り、サンドイッチ位は作れるようになった。そうして一年目を迎えるころには、「ママ」と呼ばれても、「ハイ」と返事はできた。始めは「ママ」と呼ばれても自分が呼ばれているなんて気づきもしなかったのに。そうなったころだ。知人の方から、八丁堀にビルを建てたのだが、何か食べ物屋さんを入れたいと思っていて、やってみるかい?と誘われる。八丁堀?昔の時代劇によく出てくるところだという以外行ったこともない。

 一応、ビルだけ拝見ということになり出かけたが、なかなか良い所だった。七十坪と聞いていたが、長方形の形は素敵な店が出来そうな感じだった。でも、喫茶店には大き過ぎるし・・・。お断りに行ったのだが、オーナーである知人は「知り合いに借りてもらいたいんですよ。昔ねえ、立て直ししたい時になかなか、出てもらえなくて、工事が一年延びてしまったこともあるのでねえ」と言われ。父に話したらしく「友達に銚子で大きな水槽を作って、そこに活きている魚を飼い、お客様にその魚を出して、流行っている店があるから色々聞いてみようか?」と言った。そして一週間後、そこのお店に父と母と行ってみた。なるほど、店の入口の大きな水槽にいろんな魚が元気よく泳いでいた。注文が入ると魚をすくって、すぐお刺身にしたり、煮たり焼いたりして出してくる。私たちもそこで食事をしたが、とても新鮮でおいしかった。座敷もカウンターもある店にしたらいいなあと思ったが、まだ父に喫茶店を出した時の借金だって、一銭も返していない。それに和食のお店言わばお料理やなんて難しいだろう? とても私にはできないと思ったのだった(次回に続く)

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