KIRACO(きらこ)

 前号、この欄《タイトル「有遊会の頃」》でスペースが足りなくなり、中途半端で終わってしまいました。

 今回は、その続きというわけです。

 前号をお読み頂けなかった方のために、かいつまんで説明致しますと…。

 今から四十数年以上も昔のことですが、浅草公会堂の一室で、「有遊会」という、ユニークな《言葉のお遊び会》が時折り催されていました。

 放送作家、シナリオライター、文芸評論家、漫談家、などなど多士多才の集まりでした。

 その頃、私は回文に熱中していて、よく朝日新聞の《千葉笑い》という笑文芸コーナーに投稿していたのですが、当時その選者でいらしたのが、演芸評論家の小島貞二先生でした。

 そのご縁で有遊会にも入れて頂けたのです。

(なんとその朝日新聞の文芸欄は、現在もずっと続いているのです。しかもこれまたご縁があって、現在の選者はKIRACOの長年の執筆家「田辺鶴遊師匠」 なのですから不思議というか、驚きです)

 鶴遊さんのご師匠、あの長いおヒゲの田辺一鶴さんとお知り合いになれたのも浅草の公会堂での有遊会例会の時でした。

 以来、とても打ち解けて下さって、会が終わった後のお茶飲み会では、皆さんに混じって一鶴さんの破天荒なお話を聴くのも楽しみのひとつでした。

 そんなある日突然、

「中田さん、お得意の回文、その作り方みたいなのを上野の「本牧亭」でひとつやってみませんか?」

 始めはジョークかなあ…と思ったものです。 今ならとてもお引き受けする勇気はありません。「本牧亭」といえば、講談・落語・漫才に精進している人々にとっては、まさに「天王山!」

 出たくたっておいそれと出られる舞台ではありません。

 でも、「若さ」というものは恐ろしいもの、持ち前の「好奇心」と「巧名心」とが一緒になって、間髪をいれず答えていたのです。

「はい、是非お願い致します!」と。

 その夜、勤めから帰って来た夫に、かくかくしかじかと報告すると…一瞬夫は絶句!普段無口で大声を上げるような人ではないのに、いきなり目を三角にして

「本牧亭といえば、志ん生師匠が出るくらいの高座なんだぞ!お前に出来るワケないじゃないか!」  でも、もともと落語大好きな夫。私も普段ラジオから流れる節回しを一緒に聴かされる日々でしたから、古典落語のストーリーまでほぼ覚えた程…だったのです。

 さて、いよいよその本牧亭出演の日がやってきました。

 本牧亭に入って先ず目についたのが「下足番」。そして威勢の良い若い衆から手渡される大きな「下足札」。

 通されたのは階段を上がった畳敷きの楽屋でした。そこにデンとお座りになっていたのが一鶴師匠。小柄でいらっしゃるのにさすがの貫禄、ご立派でした。

「田辺鶴女さん」という若い女性のお弟子さんがお茶を入れて師匠におすすめ。とても丁寧な手捌きで、思わず見とれてしまいました。

 やがて三味線のお囃子、師匠の出番です。

 熱のこもった感動的な、独特の話術。

 何もかも初めて身近に見る感動のお姿でした。

 やがて舞台の袖で待つ私を、師匠が呼び込んで下さって、舞台に出た私はその満席ぶり…というか、後ろは立ち見の客でびっしりという状況に、もう茫然。

 それだけならまだしも、なんと立ち見客の一番前列、しかもその《ど真ん中》に、如何にも不安げな顔をした夫の姿が!。

 緊張はもうピークに達していました。

 でもここで怯んでは一鶴師匠にも申し訳ない。意を決して「本日はようこそのお運びで…」などと真面目にご挨拶を始めると、いきなり

「ヨシコちゃーん、ガンバってェ」などとヤジが飛び交うのです。

 それでも用意された黒板を使って何とか二、三篇の回文を完成。終わる頃には、さすがの野次馬おじ様たちも「フムフム」と大人しく頷いて下さってるご様子でした

 以来、人前に出ても物怖じしない度胸が身についたらしく、その後の私の人生後半の大きなイベント《逆さ歌》の時代まで、大いに役立った、というわけです。

 今は亡き一鶴お師匠さま、滅多にない貴重な体験を、本当に有難うございました!

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