有遊会と小島先生
今年は、演芸評論家・故小島貞二先生生誕百年の節目だった。9月7日、市川中央図書館での記念演芸会に出演した。小島先生と師匠一鶴は入門直後からのお付き合い。昭和36年、小島貞二構成のフジテレビ「おとぼけしんぶん」がテレビ初出演。以後も事あるごとに一鶴を取り上げ、師匠が最晩年の一席も小島貞二作「双葉山」であるなど、師匠の芸能人生で欠く事のできない存在だった。昭和52年、小島先生を中心に結成の笑文芸サークル「有遊会」に、一鶴は初期から参加。亡き父も一時期会員で、子供の私も例会に度々顔を出していた事から、「21世紀のスターたれ」と、先生は「チビ鶴」を応援、記事にもして下さった。両国駅前の喫茶店でばったり。「彼は今、前座で」と、師匠が鞄持ちの私を紹介してくれたのが、小島先生との最後だった。師匠の没後から例会に積極的に参加。真打昇進披露等、私の講談会には、有遊会会員の皆様が数多くご来場、協力を頂いている。
都々逸ペンクラブ「しぐれ吟社」主宰の吉住義之助先生も古参会員。いつも奥方・節子さんと拙会へ。名古屋生まれの節子さんの弟は、岐阜・中津川在住の鈴木欽三氏。鈴木さんには、中山道馬籠宿出身「島崎藤村伝」を創作・発表の機会を頂くなどお世話になった。その鈴木さん夫妻とお仲間に、久々ご無理なお願いを。9月17日、題して「鈴木亭講談会」が開催。近郷近在から50人近くが鈴木邸に、盛会となった。翌日、南木曽の「福沢桃介記念館」へ。鈴木氏の顔で休館日に拝観。桃介発想の木曽森林鉄道は、後藤新平が設置に協力。後藤が院長だった愛知県病院は、木曽の木材を運ぶために開削された名古屋・堀川沿いにあった。河口の東海道宮の宿で、宿泊客相手に歌われたのが都々逸の始まり。熱田区伝馬町旧東海道沿いの発祥碑へも、今回訪ねることが出来た。
10月5日には、石川雲蝶の彫刻で名高い新潟県魚沼の永林寺を参拝。小島先生との親交から佐藤憲雄住職は会員に。平成12年、有遊会の碑が建立された。裏には「田辺一鶴」の名も刻まれ、かつて本堂で一席伺ったと聞く。境内には他に、都々逸の石碑も多数。私が昨秋から選者を務める笑文芸欄「千葉笑い」(朝日千葉版木曜掲載)には、折り込み都々逸の投稿が多数。千葉笑いは、小島先生発案で昭和60年1月に連載開始。初回掲載者で大江戸玉すだれ家元の佃川燕也師、小島門下で現選者の志村葵氏、長男の小島豊美氏と、いづれも有遊会会員をゲストに、力士時代から両国にゆかりの小島先生が、開席に尽力された「両国亭」で12月11日、田辺鶴遊講談会~小島貞二と千葉笑い~を開催する。今の私を支えている数々のご縁は、亡き師匠と小島貞二先生、二人の出会いからはじまった。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
講談師。9歳、田辺チビ鶴で初高座。平成14年、田辺駿之介で前座。平成21年師匠没。後に宝井琴梅門下へ。平成27年真打。