Vol144 絶望の淵に

絶望の淵に

亡くなる二ヶ月程前、師匠の敬老会公演に、鞄持ちとして同行。道端で立ち上がれなくなるなど、体調はだいぶ悪化していた。この日も、小岩の駅前でへたりこんでしまい、目と鼻の先であったがタクシーで会場入り。着物に着替える事もままならず、普段着で読み始めた「双葉山」は、同じところを堂々巡り。まともに一席を読む体力はなくなっていた。それでも師匠は、弟子の心配をよそに、入院直前まで仕事を受け続け、出掛けようとした。

あの日から十年余り、よもや講談という芸そのものが、存亡の危機を迎える日が来ようとは。コロナ感染防止には、話しちゃいけない、集まっちゃいけない、動いちゃいけない・・。全国各地を訪ね歩き、ナマの講談を身近に聞いて頂く事が、講談師たる私の仕事であり、生きがいだった。お客をたくさん呼べる講釈師こそが一番と信じ、ご縁を広げてきた。

「収束には数年かかるでしょう。」テレビから聞こえくる言葉の数々は死の宣告も同然。寄席の閉鎖はもとより、番組出演のキャンセル、千葉笑いの休載、亡き師が始めた銭湯寄席の延期、大師匠・南鶴の代から毎年続いていたお寺の会までもが中止に。元来、まともな死に方の出来る稼業ではないものと、覚悟を決めていたつもりであったが、全ての出番を失った現実に、絶望した。自らの死を意識してなお、仕事への執念を見せていた亡き師匠の姿を思い出した。何でもない日常の尊さ。大小を問わず、一回一回の高座こそが生きる糧であったのだ。

4月半ばから、北海道巡業の予定だった。各主催者は皆、こちらから開催をお願いし、快く引き受けて頂いた方々。緊急事態宣言発令を前に、断りの電話を入れなければならず、忍びなかった。札幌・恵庭・函館と、皆さん直前まで開催を模索して下さっていた。「来るならやってあげるわよ。」旭川・おかだ紅雪庭、髙橋富士子社長の情け深い一言に涙した。そのうちに、名古屋・岩手北上・仙台の皆様方からは、コロナ見舞いの手紙やらマスクまで。休止した静岡・東京の講談教室生徒からはフルーツ缶、竹の子、エンドウ豆と、新作講談の添削依頼も届いた。後輩・仲間達からも励ましの声が。皆々、自身もつらく悲しい毎日であったろうに、やさしいひとばかり。この恩は生涯忘れてはならない。

自粛中の我が家に見慣れぬ番号から着信アリ、聞けば奄美大島からという。徳之島生まれの大柔道家・徳三宝先生の妹の孫にあたる指宿正樹さん。私が昨秋発表した新作「徳三宝伝」に興味を持って下さり、後日送られてきたのは、地元楽器店社長でアイデアマンの指宿さん制作によるCDやたくさんのサンポー君グッズに添えて、「近いうちに公演を、島あげて応援します!」という嬉しいお便り。6月1日、寄席再開初日の一席は徳三宝。絶望の淵に差し込んだ一筋の光。奄美公演を楽しみに、生きながらえてみようか。