KIRACO(きらこ)

Vol148 年の瀬や水の流れと人と馬

2021年3月4日

一鶴遺産

年の瀬や水の流れと人と馬

「浅草午年五人男」は、芸種の違うウマ年生まれ、同い年の五人が集う演芸会。浅草のスナック「馬道」で回を重ねてきたが、昨夏に閉店。

12月21日の公演は、深川江戸資料館をお借りした。五人会を前に、木馬亭の楽屋で、浪曲師・東家一太郎さんと侠客伝「夕立勘五郎」の話に。講談は、次郎長伝を世に出した三代目神田伯山の速記が多く残る。浪曲では、勘五郎の兄弟分・さんばら辰が船橋の農家で馬を拝借、深夜の街道を駆け抜けて、逆井の渡し場で朝焼けを望み江戸へ至るという場面があるという。そこで、一太郎さんの住む船橋から、私の住む江戸川区の逆井の渡しまで、物語の舞台を巡る企画を立てた。

12月10日、新京成線滝不動駅に集合。まずは、江戸幕府の馬の放牧場で、馬を囲うための土手の痕跡、野馬土手(土手際遺跡)に。良い馬は幕府に献上するが、それ以外は農家に払い下げになったというから、辰が簡単に馬を拝借出来た事に納得した。近所で生まれ育った一太郎夫人で曲師の東家美みつさんはここを通る度、道路の真ん中にある土手の存在に「正直、邪魔」と思っていたが、この日初めてその由来を知ったという。

駅名の由来、御瀧不動尊金蔵寺では、かつて神事の競馬が催されていたと聞き、急遽訪れる事に。ふと、この近辺に大江戸玉すだれの佃川燕也家元が住んでいた事を思い出し、即電話をすると、古い本堂の額に講釈師の名前が見えるという。到着早々、旧本堂・大師堂に掲げられた献額を探すと、確かに、三代目伯山・神田伯鯉両先生のお名前が。これは、馬のみならず、講談ゆかりの場所であった事の何よりの証し。詳細を伺おうと寺務所を訪ねれば、大黒(住職の奥様)の梨本三千代さんから、「講談?浪曲?そのうちここでやってみたら。」と嬉しいお話。「お寺は昔から文化の発信地」が御住職の考えで、コンサート等様々なイベントを開催していらした。境内には、船橋市街を流れる海老川の源流となる水が湧き、同じ水源の井戸水は飲料水として利用。わき水を湛えた弁天池はかつて、幕府下野牧の馬の水飲み場で、明治以降は習志野の軍馬にもこの水を飲ませていた。さらに、船橋と馬の関わりを学ばんと船橋市郷土資料館へ向かう途中、図らずもみつけたのが「明治天皇駐蹕之処の碑」。これこそが、習志野という地名の発祥を示す石碑とか。習志野市のタウン誌に連載させて頂いて十数年、恥ずかしながら初めて拝見をした。

当日は、朝日新聞「千葉笑い」担当の三嶋伸一京葉支局長が同行。事前取材など格別の骨折りを頂き、18日の朝刊に「江戸期の船橋・駆けまわる馬」と大きく掲載され、午年五人会の本番を迎えた。一太郎さんの演題は勿論「夕立勘五郎」。講談は、駆けまわる馬の如くに足で作ると、案外身近な発見もあれば、ピタリとタイミングの合うような出会いに驚いたりと、何より楽しい一席が出来上がるもの。浪曲にも同じ事が言えるようだ。

年の瀬に、生まれ故郷の名古屋方面へ伺う機会が。前号で紹介した蜀山人の狂歌仲間・平秩東作の足跡を尋ね、名古屋のお隣・弥富市へ。近鉄弥富駅東南1キロの平島は、東作の父の故郷。祖先が開発したというこの新田地帯には、江戸生まれの東作も立ち寄っている。木曽川の左岸で、堤防・輪中の跡が残る地域。明治35年に建てられた産業遺産、立田輪中人造堰樋門まで歩くと、隣りには「輪中の郷」という老人福祉施設。「あっそういえばここ・・」五年程前、慰問公演で訪れていた事を思い出した。当時は、輪中と聞いても、ピンとこなかったのだろうが、今回、弥富市歴史民俗資料館等も訪ね、この地方の人々の暮らし、水との関わりに興味が沸いてきた。

翌日から尋ね歩いたのは薩摩義士ゆかりの地。木曽三川の水害に悩まされる住民の為、幕府が薩摩藩に命じた宝暦治水は、薩摩に莫大な出費が生じたばかりか、慣れない難工事を命ぜられた多くの藩士が犠牲に。完成後、責めを負った総奉行・平田靱負や義士達の眠る桑名・海蔵寺と岐阜・海津市、石津駅前の円成寺へも墓参。平田翁を祭神とした治水神社と、その先1キロに渡り、工事直後に義士達が植えたという千本松原。目と鼻の先に木曽三川公園センター。タワーからは義士によって守られた濃尾平野が一望。水屋が特徴的な輪中の農家も再現されている。平田が自刃をした大牧役館跡のある養老町にまで足をのばした。これまで、全国各地の郷土資料館に伺ったが、海津市歴史民俗資料館には驚かされた。お城のような高い石垣の上に建ち、治水と輪中の詳しい解説・展示はもとより、旧高須藩御城内の再現と能舞台まで完備。皇太子時代の天皇・皇后両陛下も御訪問された。ここでは宝暦治水の資料を大量購入。郷土資料に強い名古屋・上前津の古書店でも求めた。戦前、鹿児島県下では浪曲が口演されたというが、講談「薩摩義士伝」を近々完成させたい。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
講談師。名古屋生まれの静岡育ち。師匠の田辺一鶴没後、一鶴の弟弟子にあたる宝井琴梅の門下へ。朝日新聞千葉版の笑文芸欄「千葉笑い」選者。