KIRACO(きらこ)

Vol149 ラジオあれこれ

2021年5月6日

一鶴遺産

ラジオあれこれ

幼い頃から全国各地、多くのラジオ番組に出させて頂いている。
3月12日は、NHKラジオ深夜便の収録へ。渋谷の放送センター五階、505スタジオは一年ぶり。
昨年は、令和2年2月2日にFMで放送の「吉木りさのタミウタ」という民謡番組へのゲスト出演。津軽三味線全国大会三連覇・松田隆行さんとのコラボ講談、民謡大会の司会進行等、民謡との関わりや簡単な講談の紹介、前座時代に歌謡ショウの司会で度々訪れ、思い出深い草津町の民謡「草津節」をリクエスト曲としてかけてくれるなど、いたって気楽な収録だったが、今回は、「話芸一〇〇選」で三十分の講談をとの事。久々に緊張するお仕事だった。

明治物特集で、「後藤新平伝」の御依頼。私が、後藤伝を口演するきっかけは、やはりNHKの厚生文化事業団の福祉大会だった。東日本の震災直後という事もあり、関東大震災の復興院総裁を務めた後藤新平を取り上げ、明治以来の講談速記の他、多数の資料を参考に創作、発表したのがはじまり。
以来、寄席やイベント等で口演を重ねた。新平の故郷・岩手県奥州水沢では、生誕一六〇年記念祭に出演。その他、医学校に通った福島県須賀川、若き病院長として研鑽を積んだ名古屋とその周辺へも何度も伺い、三年程前には、関連書籍を多く出版する藤原書店が主催、日本プレスセンターでのシンポジウムに出演。後日発行の「後藤新平の会会報第十九号」には、私の「後藤新平伝」口演速記が十五ページに渡って掲載されている。口演の都度、内容を精査。後藤伝を中心とした勉強や、新平ゆかりの各地の皆さんとの交流は何よりの楽しみ、生きがいとなった。

その皆さん方に聞いて頂ける全国放送。そもそも我が国の放送は、東京放送局(NHK)初代総裁・後藤新平の演説から幕が開けているし、最近は、コロナ対策の面で、日清戦争後の防疫対策等、後藤の手腕が再評価されている。
さらに、震災からちょうど十年の節目でもある。
そこで、全国各地での見聞や研究成果を総動員、この十年分の思いを込めて、台本の練り直し作業。新たに加えた場面もあれば、余計な言葉の削ぎ落とし、会話部分を多めに講談らしく、かつ演芸としての面白さを時間内で。これまでとは大きく異なる出来上がり、全身全霊を傾けて本番に臨んだ。
いささか力みすぎたが、12月に放送の予定。

長年、声を掛け続けて下さるラジオ番組に、木場のコミュニティ局、レインボータウンFMで土曜の夜の生放送「上野淳の東京夜会」。上野さんは、大河ドラマ「太平記」、ロマンポルノ等々数多の作品に出演のベテラン俳優。番組スポンサーの浅草大黒家天麩羅では、「天丼付き講談会」を何度も開いているが、その丸山社長の勧めで顔を出すように。内容は、“大人向け”を標榜しているだけあって、お色気要素もふんだん。私も、肩の力が抜けたおしゃべりで参加しているが、毎回、あらゆる方面からのゲストの出演が名物。相撲甚句の大至さん、物まね女王のなかじままりさんは、ここでの共演から、講談会のゲストに。特に、アントニオ古賀先生には、私の芸術祭参加公演で、「古賀政男伝」にギターを添えて頂いた。
後日、古賀先生のディナーショーに挨拶に伺った際、日テレのプロデューサーと同席。
真打昇進から昨年まで、ニュースエヴリィ特集コーナーのナレーションを、不定期だが、およそ五年に渡り務める事になったのだから、ご縁というのは面白い。

「夜会」の常連、柳家さん八師匠は、私の住まいする、江戸川区平井のお生まれ。平井在住だった亡き師匠一鶴とは勿論、師匠の琴梅とも長いお付き合い。さん八師匠主催の団地落語会に高座の機会を頂いた時は嬉しかった。創作落語「東京大空襲夜話」は、平井の空襲が題材。
私も、平井の空襲で命を落とした伝説の柔道家「徳三宝伝」を創作口演している。いずれ平井近辺で演芸会を企画、さん八師匠に共演をお願い出来たらと考えている。

平井在住の演歌歌手に、古田三奈さん。古田さんも木場のFMで「元気DE満タン!」という番組を持つ。1月11日の回に私を呼んで下さった。女優を目指した幼い頃「キミ、講談をやらないか?」と、一鶴に声を掛けられたというが、さもありなん。私も子供の頃、勧誘された口だ。古田さんは錦糸町で「約束」という店を開く。そこでリクエスト曲は、「夜の錦糸町」。作詞と台詞は田辺一鶴という貴重盤をお持ちした。二曲目は「柔道一代・徳三宝」。CD制作者で、徳三宝の親戚筋・指宿正樹さんから贈られた一枚を。3月に亡くなった金メダリスト・古賀稔彦さんが二〇〇七年に吹き込んでいた。

古田さん主催の下町女流名人会には、後輩の宝井琴柑が出演していた。その琴柑が、一昨年秋に真打昇進で五代目宝井琴鶴を襲名。先代琴鶴(故馬琴先生)と、亡き師匠が昭和54年に開いた「二鶴会」は、客入りゼロを記録。当時の週刊誌に叩かれた伝説の講談会。6月3日に、鶴遊・琴鶴「二鶴会」として四十二年ぶりに復活させる。お互い、その時々に演じたい読み物を、遠慮無く披露する会にしたいが、客ゼロ記録の復活だけは避けたい。

田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれの静岡育ち。芸能社経営の父のもと、2歳から芸能活動。6歳、日本司会芸能協会発足と同時に入会し最年少会員に。7歳、フジテレビ系列「夕やけニャンニャン」木曜レギュラー。8歳で田辺一鶴に師事。9歳、上野・本牧亭で「田辺チビ鶴」として初高座。平成14年、東海大学大学院政治学研究科中退後、講談協会にて前座修業開始。平成21年に一鶴没後、一鶴の弟弟子にあたる宝井琴梅門下。平成27年真打昇進し「鶴遊」。朝日新聞千葉版笑文芸欄「千葉笑い」選者。