豪雨の度にテレビ画面に次々と映し出される土砂災害の惨状・・・異常気象とは言いながら、普段なら考えられない山崩れ。その原因の多くは過剰な森林伐採なのだとか。
先日のNHKニュースでもその実態が次々と映し出されていましたが、なんと今、《盗伐》・・・つまり他人の山に入って木を切り倒し盗んでゆく、という不埒な行為が横行しているのだそうです。
盗まれた男性の、「百年前、先祖が私たち子孫のために、と植樹してくれて、私たちも今までそれを大切に守り、手入れも怠らずここまで大きく育てたのに・・・」と唇を噛むその姿が何とも哀れでした。
それまで太陽の光を燦々と浴び、空に向かってそそり立っていたであろうその杉の木立が、なんとも無残な《切り株》に・・・。
杉は伸びる力も強くて、植樹して根付いてからの成長も早いのですが、その成長の過程で「下枝」を斬り払い、真っ直ぐに育てる・・・そうした手入れが大変なのです。
と、偉そうに断言出来るのは、実は私、中学三年位の時実際にその作業に携わったことがあるから、なのです。台湾から引き揚げ、父の郷里である鹿児島の川内(今は薩摩川内市)で暮らしていたのですが、授業の一端として「サラ山?」とかいう山のふもとに現地集合、ナタを手に《杉の下枝切り落とし実習》というのがあったのです。
それはもう、都会育ちの私にはナミダ涙のハードな作業でした。
ナタを振ること自体はそうでもないのですが、カナブンは飛び交うわ、蚊にも刺される・・・。
それでも《若さ》です。みんなでワイワイお喋りしながら、バッサバッサと下枝を切り落としていると、あっという間に時は流れるのでした。
私は今でも大きな剪定バサミを持っていて、裏庭の薔薇を始めミモザ、藤の木、椿など自分の手で庭木の手入れを楽しんでいるのですが、考えてみたら、出発点はあのサラ山での実習体験。よほど強いインパクトで私の中に刷り込まれたものに違いありません。
成長期に遭遇した《経験》というのは、生涯にわたって影を落とすものなのか、今でも庭仕事は私にとって、出来れば一日中でもやっていたい楽しみなのです。
実はこれも若い頃の話なのですが、僅か一年間ではありましたが、小学校の音楽の専科教員として、鹿児島県の小さな村に赴任したことがありました。
家からはとても通えない距離なので、大きな農家の離れを借りての一人暮らしでした。
私はそこで農繁期の忙しさを身を持って知ることになります。田植えは勿論のこと、麦刈り、稲刈り。
初めのうちこそお客様ヅラをして傍観していたのですが切羽詰まった光景を目のあたりにするとさすがに・・・。
《麦刈り》で辛いのが、あの穂先のイガイガが腕にチクチク刺さること。あと田植えの時、田んぼの泥水に足を入れるとナメクジの親分みたいな《ヒル》が脛にピタっとくっついて、血を吸い始める。手で剥がそうとしても取れず、結局満タンに、そして真っ赤に肥った挙句、ドボンと水の中に・・・。
今考えるとその頃私は二十歳、ようやったわぁ!とも思うのですが、その農家の大家族がとても優しくて、いつのまにかその輪の中に溶け込んでいたのでした。
あれは多分田植えが終った時だと思うのですが、とんでもないミッションを課せられたことがあります。離れたところにある、その田んぼから家まで、親牛を連れて帰って欲しいというのです。
「ええっ!」と半泣きでたじろぐ私にアルジは事も無げにいいます。
「引き綱をちょこっと引けば牛は歩き出しもんで。あとはチョッチョッと舌を鳴らせば右ィ、ホウホウと声かければ左サ曲がいもんで」
二、三十分かけ、たった一人、胸をドキドキさせながら、大きな牛に引かれて歩いた黄昏の田舎道。今もありありと目に浮かびます。
こうした珍体験が今のワイルドな、型破りな私を作り上げてくれたに違いありません。
でも狭い村のことです。
「今度来やったオナゴ先生、牛バ引いて歩いチョイやったと!」
明くる日、そんな噂が忽ち村中を飛び交ったのは言うまでもありませんでした。