KIRACO(きらこ)

Vol154 老人と海の番人

2022年3月24日

湊町暮らし

通常より1時間早く始めたので午前11時休憩に。休まず続けてくださいと言うと、「規則です」と昼食を入れると2時間休みになる。役所は親方日の丸、呑気なものだ。保安部の西側にBMWの販売店が、その車両展示場隣りの軽食喫茶で時間をつぶす。スパゲッティにコーヒー、余った時間を保安部の東側に位置する千葉港を散歩する、そこは消防署、警察署、海上保安部の船着き場だった。その東側遠景は出州埠頭と製鉄所だ。役所の船や舟艇を右に見ながら岸壁を南から北にぶらぶら歩く、船着き場の終点角から東に長く続く埠頭、積荷のトラックが走る。そこを西側に突き当り左に歩けば保安部の入口に続く、足を進めようとすると、目の前に番所が有り守衛が、足止めを食う、進行は不可、来た道を戻れと命令される。ここは自由の国日本なのに。相手は仕事を忠実にこなし給料を、それぞれ立場が、納得出来なかったが時間を掛け元来た道を事務所に。午後1時20分前頃だったのでロビーのベンチで10分程時間をつぶす。

1時から取り調べが、ほとんど前日の繰り返しだ。結局終わったのは午後6時頃、すっかり日が暮れていた。帰宅したのは午後8時近くだった。検査済証不表示、操縦免許証不携帯で3日間計20時間以上拘束された。検査官殿御苦労様。後日ヨットハーバーの職員が、「2001大平丸の船舶検査証と大野一敏の小型船舶操縦免許証」の確認に。「見せ網」を介して、長年お付合いして来たのに、白白しい。保安部の差し金か、合せて保安部からの伝言を、「このイベントを続けるのであれば大平丸は不定期航路の認可が必要」と。

この事業の始まりは海洋思想の普及特に目前の東京湾を理解し守るのに必要な活動を互いに協力しようと合意で行われる事に、漁の最盛期には乗組員に無理を言いながら続けて来た、結果は漁師達も消費者の理解が漁業にも必要不可欠と進んで見せ網を推進して来た。が国交省の面倒な手続きには及ばない、そこまでするつもりは無い。

この度の取り調べで感じた、もう少し能率的に時間を短縮出来ないものか。合せて違反をしたのは大野一敏で相棒2人は1人はウォータージェットに詳しい友人、1人は幼な友達でたまたま乗り合せた。「暇ならば漁を見に行くか」と。この2人もそれぞれ12時間余り取り調べを受けた。

前記の通り保安官の仕事は取り調べが職権で有り国家から引き受けた仕事であるけれど、やり過ぎの感が有る。自衛官と保安官は専門大学が国家から用意されていて、国の安全安心を守る役割使命で、大学に掛る費用は国家負担だと聞く、我々日銭を稼いで生きる者に、今回の経験は正に、お上が下下を扱う時代劇を連想させた。ミャンマーのスーチーさんは国軍から理不尽な理由で長時間拘束されている。

権力を持つ者は弱い者を本能的に苛めたくなるのかも、今回は法律違反をした、80才を過ぎた老漁師と30才代の保安官の話。

メキシコ湾でなく東京湾の「老人と海」でした。

旬の味「ふうかし」

正月過ぎ、TV取材の話が「大平丸の漁と漁師料理」だ。湾の魚は水温低下に合せ魚の好む水温帯へ移動する。「此白」は湾奥に比較的長く居座り、1回の操業で30t~40t、魚価は安いが漁労風景は絵になる。漁師料理は漁師町の伝統的なアサリ料理「ふうかし」を。「品川飯」の原型だ。貧しくてもアサリが大量に揚がった。当時味噌汁にスープに、アサリが椀から溢れる程盛られ味は醤油をたらす程度これを飯にブッ掛けて食す。魚料理は鱸の寒風干しを水に10時間程漬け塩出し戻す。水を切り塩胡椒し皮目を下にフライパンで焼きパリパリに身は蓋をして蒸す「ソテー」だ。ピーマン、椎茸、鱸の切身を塩胡椒しアルミホイルで包み蒸し焼に、私の漁師料理だ。