KIRACO(きらこ)

《人はこの世に生れ出るとき、ひとり一人それぞれにみ合った贈り物の包みを神様から手渡され、それを背負って産声を上げる》

この言葉は誰に教えられたものでもありません。私自身の実感として、長年心に刻みつけている、いわば《持論》のようなものなのです。

さてその包みの中味といえば?

例えば人それぞれの性格や能力…つまり

 ★頭の良し悪し
 ★肝っ玉の大きさ
 ★社交性
 ★好奇心の有無

いえ、もっと単純明快なのが

 ★見栄え…つまり《容貌》の良しあし

続いて

 ★健康の度合い
 ★背の高さ

などなど・・・

こうして持って生まれた宿命・・・《神様からの贈り物》を、人は終生背負い続け、指し示されたままの流れに沿ってそれぞれの生涯を全うする。

一体、何故こんなことを、ここまで私が強調したいのか?

実は私、十人兄妹なのです。
私は上から六番目。

十人もいたら、一人や二人は性格とか顔とかソックリなのがいてもおかしくないとは思いませんか?

ところがこれが驚くほどバラバラなのです。

そしてそれぞれの運命、というか生き様も、神様の目論見通り、授かった性格そのままに流れ続けた。これはもう確信に近い思いで、今振り返ってみています。

結婚一つとってみても、相手を探すのに、まさに《性格通り》のやり方で、それぞれが見つけて来ているのです。

例えば公務員というお堅い職場にあって、日々真面目人間を貫き通した、そんな兄の場合、お見合い相手を探すにも熟慮を重ね、ものものしい《釣り書き》を互いに取り交わし、我が家にまで私立探偵みたいな調査員が訪れて家庭の内情を聴いてきたり、…。そんな堅実なお見合い結婚でした。やはりその努力の甲斐あって、良妻賢母を絵に描いたような理想的な女性をゲットしたのです。

翻って私の場合といえば?昔から知り合っていたとはいえ、文通だけの遠距離交際を続けてきました。それも結婚するまで七年間もです!

今でいう《メル友》、ですよね。いかにもナカダらしい?

中には一生独身で過ごした姉もいました。

彼女は幼いころから弟妹の面倒見がよく、何に対処するにも常に真剣勝負。

ジョークまみれの私とは正反対の几帳面な性格で、二人はよく比較されていたものです。

独身のまま小学校の校長、公民館の館長などを歴任。それはそれは《努力家の見本》のような次姉でした。

極め付けは長姉。父にとっては上三人が男のコだったところへ出てきた待望の女の子。

しかもかなりの美人に生まれついてきた。

彼女が父のお気に入りであることは、幼かった私にも明白でした。なんせチヤホヤされて育ったものですから、性格は円満で誰にも優しい。(勉強の方はそこそこ?でしたが・・・)女学生の頃から色白で、フェロモン漂うチャーミングな娘でした。

後にこの姉も小学校の教員となりましたが、なんとその結婚といえば職場の同僚との大恋愛!

そんな姉は現在九十六歳。ひ孫たちに囲まれながら、趣味の水墨画を友として今も幸せに暮らしています。(毎号この欄で挿絵を描かせて頂いている、実姉の山崎和代です)

こうして見ていくと、《ニワトリと卵》じゃないけれど、性格が先か、運命が先なのか、アタマを抱えてしまいたくなる、というものです。

だったらむしろこれを逆手にとって、自分が手にした贈り物の袋の中から、与えられた能力のあれこれをトコトン探し出し、それをガッツリ活かして楽しく生きようではありませんか!きっと神様は贈り物をした甲斐があったとお喜びになるのではないでしょうか?

私の一連の《逆さ歌》も、もしかしたら神様の贈り物なのかもしれない・・・最近、ふっとそんな気がしてきています。

歌を裏返したその瞬間浮かび上がるメロディの、例えようもない神秘的な美しさ、そして怪さ・・・。

自分だけの《秘密の領分》をそこに感じて、ひとり至福の刻を味わっているナカダなのです。

皆さんもここでちょっと立ち止まって、神様が背負わせて下さったご自分の袋の中身を今一度、点検しなおしてみては如何でしょうか?