KIRACO(きらこ)

Vol166 ただひたすら 生きている

2024年4月25日

独断独語独り言

三月にふさわしくハルウララの話題にしようと思っていた。けれど、心浮き立つ話題がまるでないのが現実。右を見ても左を見ても、東も西も日本もドイツも。厚顔無恥の政治家の追求するものは権力欲、我欲が満たされることばかり。天網恢々疎にして漏らさず、とは言うが本当か?巨悪は見逃され、無辜の民に天災が降りかかる。天の網が捕えるべきはそこではないだろうに。

パレスチナ難民支援を担う国連機関の100人を超す職員がハマスの一員で、イスラエル奇襲に加担していたと言う衝撃的な報道があった。各国から寄せられた巨額の援助は一体何に使われたのか。還流の裏金で私腹を肥やし、演説を信じ一票を投じた議員が税金からの活動費を年金、保険、家賃の支払いにと私的に流用、と言う呆れた話。寄付金も税金も使途不明。心の平安を求めるならば、見ざる言わざる聞かざる、と三猿になるしかない。

そんな鬱陶しい気分のまま窓の外を見ると、霜で真っ白に凍てついた世界を小動物が必死に生き延びようとしている。家の東側の灌木の茂みには小鳥用に餌団子が下げてある。雀、シジュウカラ、ジョウビタキらが賑やかにやってくる。ある朝、珈琲を淹れながら窓の外に目をやると、得体の知れない毛皮が枝に引っかかっている。一瞬ギョッとしたが、よく見れば、なんと赤リスが逆さ吊りになって団子を抱え込み一心不乱に齧っている。破れた網を頻繁に見かけたが現行犯の目撃は初めてだった。早く退いてくれと言わんばかりの周囲の小鳥の大騒ぎもなんのその。一度だけ白い腹を見せくるりと反転。頭に血が昇って苦しいんだろうな、そんな格好で食べてたら鼻にナッツが詰まっちゃうよ、と見ているこちらが心配になる。傍目には苦行の姿勢のまま完食してリスは悠々と去った。

南側の庭に胡桃の木がある。リスはそそっかしいそうで、越冬用にせっせと埋蔵したお宝の大半を忘れてしまうそうだ。春先になると意外なところ、あちこちから芽吹く。我が家の胡桃もリスの失われたお宝の結果である。胡桃は栗の仲間内だろうか、成長も早く三年もすればかなり立派になる。庭の木は樹齢27年ほど。特に冬の裸木は鳥たちが集まるレストランになる。マリアとドミンゴら、カラスはカササギに対しては威嚇するが食性の異なる小鳥には極めて寛容。専用のキャットフードを悠然と啄む。青ガラ、コマドリ、雀、シマエナガなど小鳥が上から落とす種、穀類を鳩、黒ツグミなど中型の鳥が霜枯れの芝で啄む。キツツキは器用にカゴや網に取り付き突く。そんな彼らの餌場はリスの忘れ物の産物なので、たまの割り込みも許せるだろう。

ヒトの為す愚行悪行に目も耳も心も疲れると、ひたすら生き抜くことに専念する彼らを眺め奉仕する。闇に呑まれるような巨大組織への寄付よりも直接野鳥、小動物の生存に尽す方がいい。陰で報酬を得て名画を汚損し、道路に貼りつき環境保全を叫ぶより、直接生命と関わりたい。25㎏の大袋の餌は三ヶ月も持たず空になる。

ところが先日、ふと外に目をやると、なんと我が友カラスの拠り所、天を衝く大樹のトウヒがクレーンで吊られている。カラスはギリギリまで樹上に群れ、旋回していた。枝を落としているだけであって欲しいと願ううち、チェーンソーの音が途切れた次に、高々と吊り上げられた上部がゆっくり回転し傾き、沈むタイタニック号の舳先のように静かに隣家の屋根の向こうに姿を消して行った。神々の黄昏、と言う言葉が脳裏を過ぎった。巨人が従容と死を迎えるような、痛ましい、けれど静かな終焉だった。

暴風のたびに大きく傾き揺れる大木は、人間のために切り倒されるべきなのだろう。わかってはいても、飛び去る友の「泣き声」は暫く耳に残るだろう。