天を見上げ、足下を見る。
雪が降り雪が積もると、人は自然に空を見上げ、そして足元をみる。
美しい月を望み挙頭し山月を眺め、低頭し故郷を思った李白のように。
雪月花とはよく言ったもので、どれも美しさに感嘆し、その前に人が謙虚になるものを端的に表している。
厳しく冷え込んだ夜に雪が降った。
地表をうっすらと覆う粉雪は風が吹けばさらさらと散る。
そんな雪の朝には夜の行跡がくっきり見える。
ひとひらの雪片が名の由来のフロッキー、点々とした朝帰りの足跡が物語る月夜の彷徨を楽しんだね。
雪が重くならないうち、辺りがまだ静まり返った早朝、箒で雪を掃く。
粉雪だからこそできること。
聞こえるのは囁くような箒の立てる音だけ。
こんな朝が好きだ。
雪という字は雨冠にススキなどの穂で作った箒の組み合わせで成り立つ。
万物を掃き清めるもの。
中原中也の汚れちまった悲しみは、雪が清めてくれただろうか。
雪さえもなす術がないほど深い悲しみだったのだろうか。
物思いに沈みながら雪を掃く。
その前に新聞を取りに行った。
収集車が来る前にゴミを出してきた。
雪を踏みしだいた足跡が鮮やかに押印されていた。
奇妙な完璧さに雪ならぬ時が覆い隠していった過去が思い出される。
放蕩猫の真っ白な雪の中の黒い足跡、雪を払った後の私の白い足跡。
足跡は自分がその時その場にいた証を刻んだものだ。
桜の樹の下には屍体が埋まってゐる。白い雪の下には時が埋もれている。
雪が降ると人は天を見上げ、足下をみる、そして遥か先に目を向ける。
雨でも晴れでもない、雪の日に人は現在と過去と未来に思いを馳せる。
しんとした風景には孤独な呟きが似合う。
記憶を探る中、どうしても思い出せない「絵」がある。
もどかしさに天を見上げる。
あの物語をどこで、何で読んだのだろう。
真っ白に雪の積もった
ある晴れた日。幼い男の子が窓から外を眺めている。
一面の雪景色に一羽のカラスが舞い降りた。
「ぼく、雪って字、かけるよ!」男の子が喜びの声を上げる。
お兄ちゃんが揶揄う。
へぇ、じゃ書いてみな。
もちろん男の子は書けない。
囃し立てる兄、べそをかきはじめる弟。
そこへ母親が「でもぼくは、雪の字が見えたのね」と優しく微笑む。
男の子に笑顔が戻り「うん、見えたの」。
絵のない絵本。
色鮮やかな子供の玩具が庭の隅にあったろうか。
文字は、書芸は、こんな感動から生まれたのかと思える一枚の絵。
紙の白に黒い墨痕、最後に添える落款印の朱。
雪に続くのは月。
年が明けての晴天の日曜日、ドライブした。
そろそろ陽が傾く帰路、車窓を移動しながらまるで伴走するようにずっと付き添う白銀の月があった。
その月影に魅入られた。
心奪われ「新年初の満月」で検索した。
ウルフムーン、訳語で狼月。子供の頃読んだシートン動物記の狼王ロボを思い出す。
彼は私の英雄だった。
目の前に突然現れでもしない限りオオカミはかっこいい。
けれど何故これほど花鳥風月自然を愛する日本人が、風雅な和語で固有の名を与えなかったのかと、落胆も大きかった。
歌人俳人は何も思わなかったのか。
それでも狼に護られ帰宅したという不思議な神話の世界に踏み込んだような感覚は、その名を決して否定しない。
三月、関東では名残りの雪が花に降るだろうか。それぞれの心残り、名残りを振り捨て春は旅立ちの季節。
他の記事を読む