ようやくコロナ禍も明けそうな気配で、ほっとしている昨今ですが、以前から時々頂いていたテレビ出演も復活?するものか、ここのところお声がけを頂く機会が増えて、九十二歳という年齢にも似合わぬ多忙な日々が続いています。
それも最近は、なんとこの私を掴まえて下さるのに、《きらこ編集室ホームページ》への直々の問い合わせ…というケースが相次ぎ、お忙しい編集室には本当に申し訳ないのですが、改めて今のネット社会の仕組み、というか流れというか、以前では考えられないりにはただ驚くばかりの私です。
思えば三十年以上も昔から、私は自身の秘技ともいえる《逆さコトバ》や《逆さ歌》で楽しませて頂いて来た訳で、今改めて昔を振り返ってみると、あの当時のテレビ全盛期の活気に溢れた業界の雰囲気が蘇って、懐かしさでいっぱいになります。
使用機材の大きさ、という点だけでも今と昔は大違い。第一、収録のカメラ一つとっても以前は大の男が汗水たらして担がなければならなかったくらい重く、しかもガサが大きかった。今はスマホ片手に若い女性のADさんが片手でシャカシャカ。
スタッフの人数もそうです。
ロケというとクルマ三〜四台も。たまにタレントさんが来たりする時は、物々しい《犯人護送車》なみに窓に黒い目隠しのシートを貼って…。
今もハッキリ思い出されるのは二十年以上も前の《USOジャパン》という番組です。あの生田斗真さんや、山下智久さん達。まだ十代でした。
今、テレビドラマで押しも押されもしない、立派な演技を見せて下さっているお二人も、あの頃はまだ《紅顔の美少年》。エネルギーが有り余っていて、我が家のレッスン室を所狭しとフザケまくっていた可愛いお二人の様子が今も目に浮かびます。
逆さ歌も大幅に変わってきました。あの頃は伴奏まで逆さに弾けるようになるとは思ってもいませんでしたし、第一、こんなに長く逆回転の世界に身を置くとは予想もしていませんでした。
そもそものキッカケは、当時某テレビでADをしていた友人から或るオーディションに誘われた事です。
「珍しいワザを持ってる女性を集めて競い合うって番組なんだけど、出てみない?優勝したらペアでハワイご招待だって」
当然名乗り出たのはいうまでもありません。その頃、ハワイはまだそう簡単には手が届かなかったし。
得意の回文を引っ提げてテレビ局に向かいました。
「総理は辞めるまで臭い選挙。
預金政策で丸め、矢張りウソ」
「内角いっぱい、投手シュート。
一発行くかいな」
いずれも私の作った回文です。こんなのを二十個くらい。居並ぶ審査のおじさん達を唸らせたのはいうまでもありません。でも、見事落選。
「確かに凄いです。でも、テレビ的にはビジュアル性に欠けて面白味が…」無理もありません。他の応募者と言えば《女性の野球アンパイヤー》《女性キックボクサー》、果ては《アイスクリームの早喰い?》などなど。
落胆の面持ち…というか形相で部屋を出ようとしていたら、審査員長?らしきおじ様に呼び止められました。
貴女はピアノの先生のようですね。どうですか、回文と音楽とをミックスして、逆回転で歌を歌うってことは出来ませんか?三日間くらいなら待ってあげますよ」
それは途方もない、《不可能》とも言いたい提案でした。
でもあの時のあの呼びかけ…!あれが無かったら今の私は無かった。
恐らくおじ様としては部屋を出ようとしている私の形相の余りのもの凄さにビビッていらしたのでは?
音楽と回文の合体?あの時、正直言って私はそんなの絶対不可能だと思っていました。
でも、結局ナカダは三日三晩死に物狂いで考え続け、遂にオーディションを潜り抜けたのです。しかも本番では、なんと「パンパカパーン!」優勝でした。
念願の《ハワイペアご招待》も見事ゲット!
不可能、とは思っていても、「はい、出来ると思います!」とにっこり笑って答えられたあの頃の、逞しい一途な自分に、今改めて拍手を送ってやりたい気分です。
もう、四十年近くも昔のお話ですが。