なんと力強く、美しい言葉でしょう。
私の大好きな言葉の一つです。
今年の初夏はいつもの年に比べて気温もあまり高くなく、新緑のみずみずしさが際立って目に映え、日々心躍る思いで過ごすことが出来ましたが、そんな時思わず口をついて出るのがこの言葉なのです。
過去にも幾度かこれと似たような気持ちを味わったことがありました。
ずいぶん昔の話になりますが、高校1年くらいの頃の同じ季節、それも授業の真っ最中。窓外に拡がる樹々の緑がつややかな光を放ちながら、ゆさゆさ波打つのを眺めていたその時、『何だろう!私、今大きく変わろうとしている』そんな思いに捉われたのです。
自分の力ではない何かが働きかけ、脱皮を促されたというか、今迄の自分ではない私になろうとしている。そんな気持ちなのでした。
事実、それからの私は自分でも驚く程すべての意識が高まり、貪むさぼるように文庫本を読み漁ったり、音楽にどっぷり浸かって涙したりとか、そう、何かに突き動かされるように目覚めていったのです。
今思えばあれはいわゆる《思春期の幕開け》だったに違いありません。では、此の度の私の場合は一体何の幕開けなのでしょう?
九十三歳にもなってしまった私にこの先齎される大きな変化とは?
これまでにも、自分ではどう動かしようもない、いわば人生の流れ、というか《区切り目》に左右されることがよくありました。
今思い返しても不思議でならないのですが、どういうわけか、或る一定の周期で環境が変わるのです。
私の場合、何故かそれはほぼ七年周期で巡り続けました。
例えば…台湾で生まれ育った私ですが七歳の時、父の建てた新しい家が完成し、小学校の入学と相前後して引っ越しました。
十四歳で敗戦。すべてを失った挙句、台湾を離れ日本本土へ引き揚げる事に…更に二十一歳の時には結婚。
この《七年周期》はその後も暫くの間、不思議と続くのでした。
これは単なる偶然なのでしょうか?
私にはそうは思えないのです。
どう考えても、それは神様から頂いた運命の物差しのように思えて仕方ないのです。
で、九十三歳の現時点に立って考えると次は何と百歳!ではありませんか?
とすれば私に残された次の区切り目になる事項といえば…そう、それは唯一《黄泉路への旅立ち》しかありません。
若し神様がホントにこの私を百歳まで生かして下さるとすれば?
残された最後のひと区切り、一日たりともおろそかには生きられない。
私に残された歳月を、一針ひと針、刺繍でも刺すように、愛おしみながら大切に生きていきたい!
その為にはとにかくゲンキでいなければ!
以前テレビ取材を受けていた頃、よく「中田さんの元気の秘訣は何なのですか?」と聞かれていましたが即座に答えていたものです。
「はい、自分で考案した《オリジナル・ゴキブリ体操》です」と。
実はこれ、還暦の頃から三十年以上も毎朝続けているのですが、僅か十五分間とはいえ結構ハードな内容で、例えば腕立て伏せ二十回、V字開脚。
スクワットも完璧に沈み込んで十回以上などなど。
で、何故《ゴキブリ体操》と名付けたか?というと、
一旦ベッドから起きてしまうとあれこれ用事に目が行って、結局体操の方が「あとで」になり、うやむやになってしまう。ですから目覚めたその瞬間、ゴキブリの断末魔の姿、つまり仰向けのまま手足をバタつかせるというあの動きに入るワケです。これまたオリジナルのコミカルなテーマソングを歌いながら。
「♫ゴキブリパタパタパータパタ私しャまだまだ死にたくない!」
この体操のおかげで、毎朝の自分の健康状態を掴み取ることが出来ています。自己満足といえばそれまでなのですが。
ところが…
なんと嬉しいことにこの度、こうした一風変わったナカダ独自の生き方を本にしませんか?という、有難いお声がけを自由国民社さんから頂いたのです。
ここのところ毎朝部屋のカーテンを開けるたび、九十三歳のおばあちゃんは叫びます。
「いざ、生きめやも!」
願わくばこの叫び、百歳のその朝まで続けることが出来ますように。
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