我が家のリビングの壁には大小様々なメモが張り付けられているのですが、中でも目立つのが《お薬、毎朝忘れずに飲む事!》という、警告調の大きな一枚。
昨年までは、血圧が高い時など、たまにチョコッと降下剤のお世話になっていた、そんなお気楽な私でした。
例えば健康診断の問診などで
「普段、何か続けて飲んでいる薬がありますか?」と訊かれた時も
「ノニジュースとか…オメガエイドなど」と答えて、
「それはお薬でなくてサプリメントですよね」と笑われたりしていたものでした。
ところが昨年のお正月、久々に訪れた台湾で、今まで経験したことのない事態に陥ったのです。
兎に角しんどい。息苦しい…。食欲もゼロ。
急性肺炎でした。
普段は台湾に行くとまるで食欲の権化!といった感じで、朝っぱらから油脂ギッチョンチョンの台湾料理、それを何連チャンも続けて、同道した友人に呆れられた記憶まである私なのに…です。
なんせ台湾で生まれ十五歳まで暮らした、いわば故郷。すべてが《おふくろの味》に直結…の筈なのに、です。
恐らく出発した成田空港の、お正月の人ゴミで肺炎のバイ菌に狙われたに違いありませんが、それにしても急劇的な進行でした。
でもどうしても逢いたい現地の友人もいるし、予定したスケジュールをすべてこなし、一息ついた時にはもうヘナヘナ。
帰国した翌日、朝一番に駆け込んだ近くのクリニック。なんとお医者さまの方が真っ青!になられたのだそうで。
酸素濃度測定器での数値は普通健康な人なら100から~せいぜい90。
80台に落ちたら大騒ぎといいます。
なんと私のそれは65!だったのです。
当然即、入院です。
肺炎菌…それがどんなに強力に人の生命を脅かすものか、それまで少しも知らなかった私でした。
入院した途端、意識が朦朧として、そのまま昏睡状態に。
その後四〜五日も目を覚まさず眠り続けていたというのです。
あとから看護師さんに聴いたのですけれど主治医の先生始めスタッフの皆さんが「恐らくこのまま…」とお思いになられたようで、その看護師さんも、(もし生き返れたとしても恐らく脳にダメージを受けていて、もはや普通には戻れないのでは?)とお思いだったとか。
退院する時、
「私、長い間この仕事に携わってきましたけどあの時の中田さんと、こんなにフツウに会話できるとは!脳も勿論ですが、それより心臓が…。余程お強いんですね。なんか鳥肌立つくらいに驚いてます」
と、嬉しいお言葉をかけて頂いたのでした。
その昏睡状態だった自分のことを、私は退院直前、ノートに克明に書き記しておいたのです。今読み返してもそれは《死の世界》に足を踏み入れる一歩手前の幻覚…そんな、不思議なものでした。
目の前を次々と行き過ぎる霞のような空気。その神秘的な美しさ!
その淡いグリーンがかった靄の行き過ぎるさまをぼうっと眺めていた私。
意識があったときにはあれほど苦しかったのに、なぜか少しも苦しくなくて、平穏な、幸せな時が流れてゆきます。
でも今が夜なのか、昼間なのかさっぱり分からない。
しかもその内、幻聴が聞こえ始めたのです。人の声。まるですぐそばで話しているようにハッキリと聞こえます。
息子の声でした。なにか仕事のことで同僚と熱心に話し込んでいます。でも姿は見えない。
母親がこんな状態なのに何だって?
大声で息子の名を呼びましたが無視されているようです。しかもその話の内容が、むしろ私の死の早まるのを歓迎しているような、そんな流れに聞こえるのです。
あとで聞いたのですけれど、その夜
私は一晩中、喚き散らしていたようで、医療スタッフの皆さんが最期と感じたのもこの時期だったのかもしれません。
さてその後の私の回復…これが何とも驚異的でして、一年経った今、七、八種類のお薬のお世話になりながらの日々ですが、食欲は旺盛そのもの!お料理造りもバッチリ…
思うに、今まで私の身体は薬というものに殆ど縁が無かった。その分、体内によく浸透してくれて助けられているのでは?
と、ここまで打ち込んでいたら、お薬軍団の中でも最も優れものの《利尿剤》がしきりに私を呼び始めまして。
というワケで…そろそろこの辺で失礼致します。