4月19日の東京新聞朝刊に「講談の魅力より深く伝えたい、鶴遊さん浅草に教室開講」と、したまち版はもとより都心版にも大きくカラーで掲載された。浅草の大黒家天麩羅別館で開催した「講談教室開講記念講談会」の模様を、小倉貞俊したまち支局長が自ら取り上げて下さった。支局長着任直後の忙しい中、何度も話を聞いて下さる丁寧な取材に恐縮した。
東京では、長らく文京区の貸し教室で月一度の教室を開いていたが、立地面や貸主の協力体制など、生徒の拡がりもこれ以上は期待が持てなかった。最後まで残っていた生徒は、田中善二郎さんと上岡覚さんの熟年男性二人。参加者が増えれば張り合いも出て講談も上達する。二人に仲間を増やしてさしあげたいという思いから会場の移転を決断した。
ちょうど「月刊浅草」3月号に「父と師匠と浅草と」というタイトルで、亡き師匠一鶴や浅草での思い出を書いたばかりだが、二歳から名古屋で芸能活動をさせられた私が、小学一年生の時、東京で初舞台を踏んだのが浅草の木馬亭だった。私自身が子供の頃から馴染みがあり、今も昔も芸能が盛んで人が集まりやすい浅草ならば、新規の講談教室が話題になり生徒も集まるに違いないと、大黒家天麩羅の大おかみの丸山益江さんに相談をした。
大旦那の故丸山眞司さんは、浅草商店連合会の会長を長年務めた浅草の重鎮だった。私が前座の頃、前座が自分の会を開くというのは御法度。しかしなんとか勉強の場を増やしたいと、講談協会に内緒で初めての勉強会を開いたのが銀幕ロックという浅草のバー。丸山会長はこの時のお客で、以来、私を応援して下さり、浅草警察友の会での一席や、様々な浅草の町のイベントに出番をいただくようになった。
大黒家別館の四階ホールで開催した天丼付き講談会は大好評で常に大入り満員になったが、その会場を、毎月第三水曜日の午後一時から格安で貸して頂けることに。ここに「浅草大黒家講談教室」がスタートした。
5月20日のお稽古には、新聞掲載の効果もあり新しい顔が。紙芝居と朗読をなさる女性の荒関さん。四十年前に講談を習っていたという丹羽さん。木馬亭の常連で昔覚えた落語を披露してくれた埼玉の岩崎さん。声優志望で市川出身の青年白幡さんと多士済々。
さらに、今年のNHK講談大会で司会を務めた三平泰丈アナウンサーがのぞいて下さったのも嬉しかった。前出の二人や静岡校の生徒らも含めて交流を深めて頂き、一生の趣味にしてほしい。素人であってもプロの話術が身につくように指導をするが、講談はやらないけれどお友達を作りたいという方も大歓迎。千葉県からも気軽に顔を出してもらいたい。
4月4日には「浅草午歳五人男」を深川江戸資料館で開催。浅草を中心に活動する昭和53年午年生まれの同い年、講談・漫談・浪曲・落語・カンカラ三線と芸種の異なる五人組で、平成26年の午年に立ち上げてから十二年、干支ひとまわりの記念公演だった。
各々の芸に加え、紋付き袴で居並び口上も披露。特別企画「午年歌謡ショー」で締めくくった。各自が作詞した「ああ浅草午歳五人男」というテーマ曲を発表した他、「達者でな」「さらばハイセイコー」など馬にまつわる歌を歌唱し、コーナー司会は私と、漫談の猪馬ぽん太君が担当した。
ぽんちゃんは木馬亭を拠点にする劇団「浅草21世紀」の古参座員で、私の浅草の大事な友人の一人。私の会に何度も助演してくれたかと思えば、引っ越しの度に手伝ってもくれる。閉館直前の名古屋の大須演芸場でも一緒になり、その楽屋で「浅草に帰ったら会を作ろう」と約束、五人男の結成に至った。
役者もコントもやる彼は、「本業は司会者だ」と言い切る。先頃、私も所属する日本司会芸能協会にぽんちゃんが入会。彼は私より一か月遅い生まれで、発足以来四十数年最年少会員だった私は、やっと最年少から解放された。協会の名簿が届いて驚いた。ぽんちゃんの本名が健一、私と同じ名前だった。
大黒家にほど近い浅草公会堂で、隔月で開催されている笑文芸サークル「有遊会」には、亡き師匠に連れられ子供の頃から参加している。毎回各分野のゲストを招いての卓話の時間があるが、4月25日の例会は日本司会芸能協会副会長で西船橋在住の牧野尚之さんが登場。森昌子の最後の専属司会者で、歌謡界の裏話に一同興味津々、ぽんちゃんも出席した。
会の代表は、およげたいやきくんのプロデューサーで有名な小島豊美氏。会の創設者、演芸評論家の故小島貞二先生のご子息だ。
後日、豊美さんから電話があり下総中山のご自宅へ。小島先生が遺した有遊会第一回からの録音テープを託された。早速聞いてみると、師匠一鶴の声が。一鶴は有遊会で多くの仲間と交流。言葉のセンスを磨き、高座に活かした。
6月4日から三年ぶりに大須演芸場定席へ出演する。名古屋は生まれ故郷で、大須には浅草に似た風情がある。一鶴も大好きだったこの演芸場には、私の思い出もいっぱいだ。
田辺鶴遊(たなべかくゆう)
名古屋生まれ静岡育ちの講談師。芸能社経営と演者でもあった父の影響で歳から芸能活動。昭和61年東京初舞台。この時のゲスト坂野比呂志師の誘いで日本司会芸能協会に発足と同時に入会。その後ヒゲの講談師田辺一鶴に師事、9歳、田辺チビ鶴の芸名で初高座。東海大卒業後に講談協会で前座修業開始。平成21年に師匠没後は宝井琴梅門下。同27年真打昇進し田辺鶴遊を襲名。日本テレビニュースエブリー特集のナレーションを長年担当。故小島貞二氏が初代選者の朝日新聞千葉版の笑文芸欄「千葉笑い」五代目選者。

