Vol142 没後十年

没後十年

講談師がガイド役の、はとバス「講談師と行く赤穂浪士ツアー」。昨年末、はるばる仙台から乗車をした庄子忠憲・和子夫妻と意気投合。一月、お二人を訪ねると、泉区の寺坂吉右衛門のお墓を案内頂いたが、この十四日は、仙台地方は「どんと祭」の当日。各所で裸参りや、お炊き上げが行われるが、庄子家は大崎八幡宮への参拝が恒例。御一緒し、束の間、仙台市民のお正月を体験出来た。明るい御夫婦との再会を約束して青森へ。

下北の玄関口、むつ市の徳玄寺には、旧田名部町出身の映画監督・川島雄三が眠り、記念碑が。亡き師匠が少年期を過ごした浦安で、川島組が撮影した映画が「青べか物語」。公開の翌年、小児麻痺の後遺症で監督が急逝。親交のあった伴淳三郎は、墓前で障がい児の為の募金活動を誓う。青べか物語の主演でもあった森繁久彌と共に呼びかけたのが、芸能人募金活動の草分け「あゆみの箱」。一鶴は森繁先生とのお付き合いから活動に従事。師匠と一緒に、チビ鶴だった私も街頭募金で参加。師の没後より積極的に参画、平成28年の解散時には常務理事を拝命していた。今回、あゆみの箱の原点に、遅ればせながらの訪問が叶った。碑文を読んでいると、帰宅をした住職の父・石澤史さんがお声掛け下さり「川島家は近江商人の末裔でね・・」と、一際大きな監督のお墓を案内頂く。また同寺には戊申戦争に破れた旧会津藩士の墓石が。幼君は遊び場、重臣達は会議等で出入りをした斗南藩ゆかりのお寺だった。大湊駅近く、藩士上陸の地へも足を伸ばした。

翌日、大間から大函丸で函館へ。函館駅前の旧棒二森屋にて地元講談師・荒到夢形さんら、道南落語倶楽部の皆様との演芸会は大入り。市内在住で、浦安小の一鶴の同級生・青山力さんが久々の嬉しいご来会。元々青山氏とは、第一回の函館公演の際に、夢形さんに引き合わせてもらった。そういえば、夢形さんとの出会いも「はとバス」だった。

静岡新聞の元役員・杉田至弘氏。奥様の佳さんが、私の講談教室の生徒と同級生ゆえ、正月の発表会に毎年お越し下さる。今年は、発表会前日に、丸子の老舗料亭・待月楼(八木優子女将)で講演会を設けて頂いた。静岡豊かさ支援協会主催。中溝一仁代表の心配りで、名物とろろ汁を頂きながら多くの方と交流。杉田さんの閉会の辞で飛び出したのは、意外にも一鶴の話。現役の頃、東京の電通の新年会で毎年顔を合わせるようになったという。「静岡にはチビ鶴という子がいてね・・」。杉田さんとの縁は、すでに三十年も前から始まっていた。没後十年、亡き師匠はいまだに、不思議なご縁をもたらしてくれている。