行列
「行列」と聞いて皆さんはどんなことを連想なさるのでしょうか?
グルメに人気のレストラン?
アイドルのサイン会?
平和な日常であれば待つ間も楽しい《行列》ですが、私達高齢者、特に戦争体験者にとってのそれは、総じて暗く辛い思い出に繋がるものの方が多いのです。
テレビなどで流れる戦争に関しての画像の中で最も悲しく胸を打つのが、あのアウシュヴィッツの《ガス室へ送られるユダヤ人の行列》
幼い子供たちも混じるその映像は涙なしには見られません。
戦時中、私が体験した行列といえば、例えばシンガポールが陥落したときの、日の丸の旗行列。「万歳、万歳!」と叫びながら台北市中を練り歩きました。夜になると提灯行列です。小学六年生だった私はもうヘトヘト!
思えばあの頃は命令されて行列に加わること自体、何の疑問も持たなかった、というよりも疑問を抱くこと自体許されなかった。そんな時代でした。
今にして思えば子供が聞いても笑いたくなるような行列にも私達国民は何一つ文句も言わず、並び続けていたのです。
その最たるものが《バケツリレー》!
隣組=町内会=の各家庭から、一人ずつ強制的に集められた人達が各自で持ち寄ったバケツを手に一列横隊で並びます。
「火災発生!消火開始!」《在郷軍人》という、モト軍人、いわば在野のエラそうなおじさんが発する号令一下《防火用水》と書かれた水溜め槽からバケツ一杯の水を汲み、リレー式に次々とトナリに手渡します。一人ひとりの間隔は約50センチ。どう考えてもヘンでしょう?
だって並んでいるのは殆どが女・子供ばかり。トナリに手渡す間に水は半分近くこぼれてしまいます。最後の火災想定地点では恐らくバケツはカラッポに近かったのではないでしょうか?
思えば、こうした愚ぐま昧いな行為が当時はごく普通に繰り返されていたのです。
もしこれが「今」の時代だったら?
恐らく行列に加わる、というその時点で人々は疑問を抱き、さまざまな情報を駆使して自分の取るべき行動を選択するに違いありません。
《違いありません!》と、エラそうに言ってしまいましたが、実は最近、とんでもないおバカな勘違いから、或る行列に並び続けたという恥ずかしいお話・・・。
その日は庭に植える花の苗を買いに久々にクルマでスーパーに出かけました。
コロナ以来、買い物は避け続けていましたから、ついでに食品類も・・・と、メモっておいた物をあれこれとカートに入れ、そのままレジに向かいました。ところがいつもと違って何故か一列に並んでいるのです。
《そうか、所いわゆる謂フォーク並びなんだな、近くまで行けばそれぞれのレジに別れてお勘定する、そんなシステムで最近はコロナ対策をしてるのか・・・なるほど》
行列はなかなかの混みようで、整理係りの店員さんが「最後尾はこちらでーす」などと叫んでいます。
そこで気付けばよかったのですが、人間一旦行列の中の一個人になってしまうと、思考が緩ゆるんでしまうものか、何疑うこともなく、ただぼうっとして立ち並び続けたのです。しかも前後の人との間に《三蜜》を避けるための距離を開けねばならないので、前の人に近寄って聞いてみるのも憚られたものですから。
と、次の瞬間、列はどんどん進み始めました。ところが何故かレジとは反対の方向に向かいはじめたのです。
あれ?と思った矢先、すぐ近くのコーナーに立っていた若い店員さんが、「お待たせしました!」ポン!と真っ白な卵のパックを私の籠に。
それはいわゆる《目玉商品》の格安タマゴ・・・の行列だったのです。でもチラシも見ていなかったし、しかも時間限定商品であることも知らず、ただひたすら並び続けていた・・・というわけなのです。(ま、いいか。偶然、安いタマゴ買えたんだし)
自分がとんでもない勘違いをしていたことに呆れながらも、ちょっとホッコリ気分で駐車場へ向かいました。
ところが・・・何故か遮断機が上がらない!
そうです。時間超過!駐車料金を取られ、おかげで、タマゴはいきなり高価なものについてしまったという、なんともお粗末な一幕なのでありました。