寝は寢の略字。甲骨文や金文(ともに中国での一番古い文字)では宀+帚になっている。ほ
うきで清めた奥まった部屋の意。爿は寝台を表す。もともと病気でベッドに横たわる意だった
のが、のちに、ねる意に用いられるようになった。
人が家を作る目的は何なのか。それは寝るための場所を確保するため。少し乱暴な言い方をすれば、それ以外はどうでもよかった。狭くても人が横になれる空間があれば十分だった。南こうせつの『神田川』のように三畳一間でもいいわけだ。
最初の住まいの竪穴住居あるいはそれ以前を考えると、『万葉集』に「あづさ弓欲良の山辺のしげかくに妹ろを立ててさ寝所払ふも(欲良の山辺の茂みにあの子を待たせて、寝る場所の草を払うよ)」とある通り、野外であろう。同じく『万葉集』に「……我妹子と二人わが寝し枕づく妻屋の内に(わが妻と二人で寝た寝室の中で)……」とあるのは、建物としての妻屋・寝室が作られている。
部屋ができても庶民の家の床は板敷きであった。そこにゴザ・ウスベリの類を敷き、昼間着ていたものを脱いでそれを素肌の上に覆って寝たわけで、布団が現れるのは意外に遅く、桃山時代末期か江戸時代初期といわれる。理由は綿が渡来して耕作されるようになるのを待たなければならなかったから。
普通の貴族の寝室は『源氏物語絵巻』を見ると分かる。光源氏のような超エリートの貴族でも、板敷きの上にそこだけ畳を敷いてじかに休む、着ているものを掛け布団代わりにする、が当たり前だった。天皇や皇后・中宮だけは御帳台というカーテンつきの正式のベッドがあった。それでも部屋の天井は高く、冬などは相当寒かったろうと思われる。
いかがです?それではも矢張り優雅な平安朝の生活をしてみたい?
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