「八十歳になったら、私、絶対ロッキングチェア買うんだ!」
昔、よくそんなことを言ってた私。
それはもう少しで還暦を迎えるという頃でしたが、当時はピアノ教室の生徒さんも多く、体力も気力も満々。
しかも同居の息子夫婦に孫が出来て家族も増え、夕食の支度は近所の方にお手伝いに来て頂いて何とかやり過ごすという、そんな多忙な毎日なのでした。
でも、いつかは私も歳を取りピアノもだんだん弾けなくなって、生徒さんも来なくなるに違いない。
さぞかし寂しいだろうなあ…。
一日中する事が無くて暇を持て余す日がいつかは来る。
でも…そうなったら今までやりたかったいろんな事が出来る、というもの。
そうだ、そのうち読もうと思って買い込んでいた、いわゆる《積んどく本》、あれを片っ端から読めばいいんだ!
有り余った時間!何という贅沢な余生だろう…
私のユメはいやが上にも膨らんできます。
温かな毛布に膝をくるみ、サイドテーブルに置かれた香り高い紅茶をすすりながら読書に耽る、老いた自分の姿…当然そこにあるロッキングチェアは、柔らかな陽射しの中で静かに揺れ続け、残された人生のおだやかな刻を刻む。
と、こんな自分の幸せな余生を夢見ていた私。
《♬ ああ、それなのに それなのに》
昔こんな流行歌があったけど、まさにそれです!
大体《歳を取る》という概念が、全く的外れでした。
歳をとったらヒマになる?
ト、とんでもない!
もうすぐ九十四歳の私。その忙しさたるや何たって朝カーテンを開けたと思ったらもう寝る時間!
何故?
そうです。ここがポイントなのですが…例えばお風呂に入るのに、若い頃はパパッと脱ぎ着していた下着やスラックス。
これが何かに捕まりながら転ばないよう、オッカナビックリの所作で。
《脱ぎ》はまだマシで、穿くにいたってはピッタシの下着って、なかなかアンヨの足首が簡単には通ってくれない…。
だからと言って、では《超デカ》の、あのニャロメ親父みたいなのに替えるべきか?
いやいや、それでは私の審美眼《?笑》が泣こうというもの。
この《のろま所作》が日常生活のすべてを支配しているのですから、現状は推して知るべし、時間にゆとりのあろうはずはありません。
脱ぎ着のスローモー化だけに留まらず、指先の感覚の衰えもまさに想定外でした。若い頃には片手でも難なくかけられたボタンやホックが両の手を使ってもなかなか穴を潜ってくれない。
しかも前の号のきらこで触れさせて頂いた、《一年前の瀕死級?の肺炎》が実はまだ完全に治りきっていないので夜寝る時は勿論のこと、お昼間も、ちょっとシンドイ時には酸素ボンベからの鼻チューブが離せない、そんな日常なのです。
こうして原稿をPCに打ち込んでいるときなども、ハッと気付いて慌てて酸素ボンベの管を引っ張り出し、鼻孔に取り付けたりしたことも幾度か。
ですから昔、還暦の頃思い描いていた夢のような老境とは、大幅に違って当然といえば当然です。
それでも私は生きていることが楽しくて仕方ないのです。
だからこそこれから年老いる方たちに、是非伝えておきたいのです。
老後と言うものが、予想を遥かに越える様々なアクシデントで満ちている事。衰える速度も年を重ねるごとに速さを増していくことも!
でも、それを楽しい日々に塗り替えるのも自分自身だということも。
何より嬉しいのは、この歳になっても《美味しいもん食べたい!》の願望、それは少しも衰えてなく、最近は朝起きて最初に考えるのが「今日は何を食べようか?」
老境に入っても人間食べる事にこんなに幸せ感を持ち続けられるって、若い頃には想像もしていませんでした。それこそ想定外のことでした。
私の記憶にある老人は《勿体ない》の一語が主流だった時代の人たちです。
それに比べたら今の年寄り、グルメ追及に余念がなくて、私の周りでも時折り開かれている平均年齢八十歳の《女子会?》そろそろお知らせが来る頃だ!とワクワクの今日この頃なのです。
でも一度は座って揺られてみたかったなあ《ロッキングチェア》…それも思いっきりアンティーク調の!
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